今日の絵(7)  4月後半

[今日の絵7]  4月後半

16 van der Weyden : Portrait of a Lady, 1460

ファン・デル・ウェイデン(1400~64)はオランダの画家、肖像画や祭壇画を描いた、幾何学的な輪郭と、顔の繊細で静謐な表情が美しい、ゴシック芸術で理想とされた痩せ形体型に描かれているが、モデルの生身の女性が生き生きと描写されている

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17 da Vinci : The Lady with an Ermine , 1490

「白貂(てん)を抱く貴婦人」として名高い絵、白貂は高価な毛皮の象徴なのか、ダヴィンチが一人の女性を描いた絵はモナリザやこの絵を含めて4枚しかないという、昨日のウェイデンの婦人像は1460年だが、姿勢を含め端正な姿に描かれているのはこの時代の共通性か

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18 Domenico Ghirlandaio : Portrait of a Young Woman, 1490

ギルランダイオ(1449~94)は、フィレンツェの人気画家で宗教画にも世俗性がある、モデルは画家がよく描いたサセッティ家のお嬢様、当時のフィレンツェで最先端のおしゃれファッションとか、視線がやや横向きなのがいい、ちょっと澄ましているのかな

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19 Perugino : Mary Magdalene, 1500

絵が発見された当初はラファエロ作と思われたが、今はペルジーノの作とされる、胸に「マグダラのマリア」と書かれているが、モデルは画家の妻のキアラ・ファンチェッリと言われる、黒い背景、身体の向き、頭の微妙な傾き、首の下の襟具合、組んだ手など、全体の構図が美しい

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20 Rubens : Portrait of a Young Woman,

最近発見されたもの、1603年頃の未完成の絵で、スペインの貴族の女性を描いたと言われている、頬の感じなどいかにもルーベンスらしく、白い大きな襟とこげ茶色の衣服、見せている片手など、構図のバランスも絶妙

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21 Ingres : Portrait of Madame Duvaucey, 1807

画家がローマ滞在中に描いた、モデルはフランスの外交官アルキエの愛人ドゥヴァウシー、彼女の「謎めいた魅力」で有名な絵だが、首がやや長いのはアングルの共通する特徴か

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22 Amadeo Modigliani : Jeanne Hébuterne with Hat and Necklace,1917

モディリアー二と知り合って恋に陥った画学生エビュテルヌは、1917年当時19歳、1920年には後追い自殺をしている、彼女は青い眼の絵が多いが、この絵は眼の青が首飾りの青とも呼応し、長めの黒い帽子とも相まって、色のバランスがとても美しい

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23 Roman Zakrzewski : painted in ca.1995~98

ザクシェフスキ(1954~2014)はポーランドの画家、彼の描く女性はすべて(聖母マリアでさえも)、ちょっと顔を傾けた長めの顔で、モディリアー二の絵に似ている、おそらく画家にとって、女性はこの姿形が一番美しいという思いがあるだろう

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24黒田清輝 自画像、1889

黒田(1866~1924)は1884年にフランスに語学研修に留学するが、画に目覚め、86年に画家になる決心をし、画家コランに学ぶ、91年にフランスで絵が入選、93年帰国、自画像は少なくこれは「トルコ帽の自画像」、学生っぽい雰囲気で、自己意識は「画学生」以上「画家」未満なのか

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25 藤島武二 : 自画像、1903

藤島(1867~1943)は黒田清輝より一歳下、雑誌『明星』の表紙や挿絵、与謝野晶子の歌集の装丁などもしたが、29歳で東京美術学校(藝大)洋画科の助教授、43歳で教授、正統派の洋画家だ、絵の女性はどれも魅力的だが、本人も口髭のよく似合うお洒落な紳士だったよう

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26 藤田嗣治 : 自画像、1910

藤田(1886~1968)の東京美術学校卒業作品で、23歳、プライドが高い自信家の印象を受ける、当時主任教授だった黒田清輝印象派風の光を強調した絵を日本に導入した人で、学生の藤田は画風が合わなかった、この絵も黒の描線など黒田が嫌った黒色を多用しており、表情も反抗的だ

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27 安井曾太郎 : 自画像、1913

安井(1888~1955)は、若い頃からずば抜けたデッサン力をもち、フランスでもデッサンコンクールの賞を独占、セザンヌに触れて画家として大きく成長、後に東京美術学校教授、これは25歳の自画像、そのデフォルメは卓越した造形力formationに裏打ちされている

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28 岸田劉生 : 黒い帽子の自画像、1914

岸田(1891~1929)は15歳で洗礼を受ける、独学で絵の勉強を始め、黒田清輝に学ぶ。友人が多く、『白樺』同人とも交流があり、友人の肖像画をたくさん描いた。自画像も優れており、この絵は長女の麗子が生れる直前で、表情は明るい。後期印象派風から「写実」へと画風が変り始める

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29 関根正二 : 三星、1919

関根(1899~1919)は独学で絵を学んだが、貧困と失恋に苦しみ、20歳で死去。この『三星』は死の少し前、中央は本人、そして右が姉、左が恋人と言われるが、確かではない。代表作『信仰の悲しみ』(1918)も本作も、人間という存在への強烈な愛おしさが表現されている

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30 松永瑠璃子:Face myself, 2019

昨日の絵より100年後、松永1990~は野田弘志に師事した若手、松永の描く画は人物の「存在感」がある、一般に顔を真正面から描くのは難しいが、光を斜めから当て、力感と目ぢからのある自画像、6月25日~7月10日に茅場町Gallery Suchiで松永の個展が

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[演劇] 歌舞伎『桜姫東文章(上の巻)』

[演劇] 歌舞伎『桜姫東文章(上の巻)』 歌舞伎座 4月21日

(写真は、序幕第二場「桜谷草庵の場」、権助(仁左衛門)と桜姫(玉三郎)の濡れ場は本当に凄い)

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『桜姫』は、2009年に現代演劇版とコクーン歌舞伎版で二回観たが(清玄=中村勘三郎、白菊丸=七之助)、純粋の歌舞伎形式はこれが初めて。あらためて思うに、『桜姫』はこんなにエロティックな作品なのだ。権助と桜姫が互いの帯を解き合うシーンなど、さすがの『ドン・ジョバンニ』にもない。出だしの花道、僧・清玄(仁左衛門)と白菊丸(玉三郎)が出てくる最初のシーンからして、清玄は白菊丸の膝を少し開いて撫でている。ただし、仁左衛門玉三郎だからこそ、ここまで美しいエロスを表現できたのだ。この作品は、どちらかというと女性観客向きで、江戸時代の歌舞伎の観客には、BLを読んでる腐女子もいたのだろうと想像してしまう。この作品の魅力は、異性愛と同性愛を絡めたところにあり、その「性倒錯」性にあるだろう。全体が、美しい倒錯的なエロスに溢れている。白菊丸の生まれ変わりである桜姫が、自分を犯した権助の入れ墨をこっそり自分にしてしまうのも、倒錯の極みだ。こんなお姫様は、西洋の演劇にもオペラにもない、すごいキャラではないか。(写真下は、1975年の伝説の舞台、桜姫と白菊丸(玉三郎=25歳)と権助(仁左衛門=31歳))

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私の理解では、我々すべての男女は、多少は両性具有的なところがあり、誰もが性倒錯的な要素を少しはもっているのだと思う(精神分析ユングはそう言っている)。宝塚はもちろん、ヘンデルのオペラは宝塚みたいだし、シェイクスピアの『十二夜』『お気に召すまま』、そして『フィガロの結婚』のケルビーノ、『薔薇の騎士』のオクタヴィアン、『ワルキューレ』のブリュンヒルデ(戦闘美少女)など、ぜんぶトランス・ジェンダーだ。つまり、性倒錯的な要素は、エロス的な愛を魅力的なものにする不可欠な要素なのかもしれない。『桜姫』を観ていて、そんなことを思った。それにしても仁左衛門は、不良青年をやらせたら最高だ。この権助とか、『女殺油地獄』の与兵衛とか・・。そして思うに、女性は一般に(すべてではないが)、優等生的な青年よりは不良青年に惹かれるのかな。 『ドン・ファン』もティルソ・デ・モリーナの原作では、17歳くらいのやんちゃな不良青年だ。仁左衛門権助のすごい色気も、それに似たものを感じさせる↓。

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今日の絵(6) 4月前半

[今日の絵6] 4月前半

4.1 Jan van Eyck : Self Portrait, 1433

ファン・エイク(c.1395~1441)は初期フランドル派の画家で、15世紀ヨーロッパで最も重要な画家の一人。テンペラ技法から油絵技法への転換を果たし、絵画の表現力を飛躍的に高めた。この絵は彼の自画像とされ、頭に捲いたターバンの深みのある赤色が印象的

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2 Pietro Perugino : Self Portrait, 1496

ペルジーノ(1448頃~1523)はラファエロの師だが、多くの画家の自画像に感じられる「眼の強さ」がある、オレンジ色の帽子も全体の色調を効果的にしている、彼は多くの弟子をとって工房を運営した、この絵は「工房のオヤジ」といったところか

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3 Dürer : Self Portrait, 1493

22歳のデューラー(1471~1528)、イタリア旅行の前年の絵、少し前までの有名画家の自画像は、重要な行事の参列者の一人に自分を紛れ込ませる「参列型」が多かったが、デューラーは独立した自画像を描いた、彼は自己の容姿に自信を持っていたらしいが、若々しく美しい

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4 Tiziano : 1512 自画像?

自画像とも初期のパトロンの肖像ともいわれている、その眼力(めぢから)が凄い、自画像に真正面が少ないのは立体感が出しにくいからか、この絵は手前にぐっと突き出した大きな肩と腕、ジロリとこちらを睨む視線など、身体の三次元的奥行が印象的

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5 Hans Holbein : Self Portrait, c.1542

ホルバインの描く人物は、どれも堂々とした顔をしている、この絵は死の1年前で、不遇な時期のホルバイン、ヘンリー8世から宮廷画家の身分を剥奪された。でも強い顔をしており、顔はやや横向きだが右眼は鑑賞者に向けられている

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6 Rembrandt : Self Portrait, c.1628

レンブラント(1606~69)は、ドローイングも含めて生涯に約100枚の自画像を描いた。画家は依頼された絵を描いて売ったから、有名になる以前の売れない自画像は、自分の研究の為に描いたのか(モデル代も不要)。22歳の彼は若々しく、乏しい光の中から人間が浮かび上がる

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7 森本草介:光の方へ、2004

森本草介(1938~2015)は戦後日本の写実絵画の領導者の一人、彼の描く女性は優美な中にも凛とした気品がただよう、後ろ姿の画も多く、女性の後ろ姿の美しさという点で、彼以上の日本人画家はいないのではないか、この絵も代表作の一つ

f:id:charis:20210415043641j:plain8 島村信之 : コントラポストⅠ、2011

島村1965~によれば、人間の最も美しく見える姿が「コントラポスト」といわれる、片方の足を少し前に出して重心を傾けるポーズ、ミロのヴィーナスはじめギリシア時代からこのポーズの女性像が描かれた、本作にはボッティチェリのヴィーナスを参考にしたという

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9 永山優子 : Man is __ , 2010

永山1975~は写実の画家で、野田弘志に師事し、北海道伊達市で制作活動をする人、この絵は描くのに約2年間を要した、「人間の皮膚は透明感があるが、弱々しく透けて見えるのではなく、腕なら腕、足なら足の物質としての存在感は壁にもまさるものがある」と永山は言う

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10 松永瑠利子 : 寝室、2019

松永1990~は若手の写実画家、私は2020年10月23日にホキ美術館でこの絵を見た、女性のヌード画の多くは、滑らかな白い肌が描かれているが、この絵は違う、アスリートのように日焼けして黒光りし、体毛も多いが、野性的な存在感が美しい、私は一瞬、山野をかけ廻るアルテミスを思った

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11 Jean-Baptiste Regnault :アキレウスを教えるケイロン、1782

ギリシア神話だが、人の動性がいい、手足もまた弓のように張っている、ルニョーはフランスのアカデミーを確立した新古典派画家、全体の構図に幾何学的な端正さがある

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12 Cornelis van Haarlem : 修道女と修道士 1591

修道士や修道女にも、恋愛する人がいたのだろう、だからこういう絵が描かれる、二人は罪におののき、思いつめているのか、でも、こういう絵は教会から睨まれただろう、コルネリス・ファン・ハーレム(1562~1638)はオランダの画家

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13 Jan Steen : Baker Ostwaert and his wife, 1658

ヤン・ステーン(1626~79)はオランダの画家。自分で居酒屋も経営していて、庶民を観察し、その生活を生き生きと描いた。この絵も、焼き上がったパンを持っている若い主人の嬉しそうな表情がいい、右の子どもは画家の息子、画家はパン屋夫妻の友人なのだろう

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14 Degas : La bouderie(ふくれっつら), 1869

ドガ(1834~1917)は「踊り子」の絵が名高いが、ドガの描く人間はつねに何か行為をしており、人物のその動性や表情が彼の絵の魅力である、ただ座って前方を向く人物画はあまりない、この絵は夫婦だろうか、金貸しだろうか、二人とも「ふくれっ面」をしてそっぽを向いている

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15 Giovanni Boldini : Moving to the Bois de Boulogene,1909

ボルディー二の絵もドガと同様、人物の動性が素晴らしい、ブーローニュの森へ行こうとする社交界の淑女と紳士、デートなのだろうか、体の動きも表情も生き生きしている

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[演劇] 文学座『岸田國士恋愛短編集』

[演劇] 文学座岸田國士恋愛短編集』 信濃町文学座アトリエ 4月12日

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岸田の初期の作品、「恋愛恐怖病」(1926)、「チロルの秋」(1924)、「命を弄ぶ男ふたり」(1925)の三本立て。いずれも40分の作品で、文学座若手俳優と演出家で上演。どれも面白く、役者も上手い。三つとも「人と人との距離感distance」が主題になっており、案内パンフには「他者と繋がりたい、でも繋がりたくはない、という相反する欲望をかかえる登場人物たち」とある。とても現代的なテーマではないか。『恋愛恐怖症』は会話だけで成り立っている劇で、その会話がとても素晴らしい。冒頭、二人の男女が、海岸に、デートのようなそうでないようなふうに並んで座っていて、互いに恋愛関係にはならずに、よい友達でいたいね、と話し始める。そして、「相手のこういうところを尊敬するから友達でいるのだ」云々と、突っ込んだ人間観察を二人は互いに披瀝するのだが、二人は本当は好意を互いにもっており、特に女は男を愛しているので、「よい友達」という状態はたちまち破綻してしまう。今は「友だち以上恋人未満」という言葉もあるが、100年前にもやはり若い男女の間では、友達であることと恋人であることとの連続と断絶が重要な課題だったことが分かる。(写真は「恋愛恐怖病」の三人の役者と演出)

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『恋愛恐怖病』は絶妙な会話によって劇が進行するのだが、しかし、現代の男女だったら、こういう状況でこんなことは言わないよね、と感じる場面もあり、やはり何かしっくりこないものも残る。おそらくそれは、これが書かれた1926年には、西洋由来の「恋愛」というものがまだよく理解されておらず、若者はまだ恋愛というものを模索中だったからではないだろうか。もちろん日本の太古から、男女の「惚れた腫れた」の関係はあったわけだが、現代の我々が「恋愛」と呼ぶものは、西洋近代に発したある種の様式、それは制度ではないにしても、付き合い方の一定のマナーにもとづく男女関係なのだ。平安時代以来、「恋」という言葉はあったが、「愛」はまったく異なった概念であった。「恋愛」というのは明治以降にできた言葉だが、西洋の「ラブlove」という概念は日本に移入するのが困難であった。現代でさえも、相手に面と向かって「愛している」とは、なかなか言いにくい言葉であると思う。それを考えると、『恋愛恐怖病』の次のやり取りは、不思議な感じがする(戯曲は青空文庫より引用)

 

女:なによ? あたしは、煮えきらない男は嫌いよ・・・

男:煮え切るも煮えきらないも、別段、今、決心をしなければならん場合じゃないでせう。

女:(ふき出して)決心をしなけりやならん場合よ。([男が立ち去ろうとすると、女は]いきなり、男の手をつかまへて、そばへ引き据える) 駄目! 駄目よ、行つちや・・・

男:さ、放してください。

 

ここまではいい。1926年の日本でも、こういう状況では、このように男女は発話しただろう。しかし、その少し後が不思議だ、

 

女:(お話を聴かせてあげるやうに)さうよ、あなたは、どんなに得意におなりになつてもいいわ、あなたは、一人の女から、命をかけて愛されていらつしゃるのよ

男:その愛を、僕は、命をかけて拒もうとしてゐるのです

・・・・

女:あたしたちは、先ず決して誓ひというものを立てません。その代り、あたしたちは、誰もゐないところへ行つて、二人だけの愛の巣をつくります。あたしたちは、夜が明けてから、日が暮れるまで顔を合はせないやうにします。あたしは、その間、なるだけ寂しさうな顔をしてゐます。あなたが、いつ、なんどき、あたしのしてゐることを、見にゐらつしやるかわからないから・・・

(男が「さよならをしませう」と言うと)

女:(力なく、しかし、男の口調を真似て) よからう。(間) ところが、もう真暗だ。ホテルまで送つて来てくれ給へ。ついでに、晩飯を一緒に食はうぢやないか。(間) よかつたら、僕んところへ泊まつて行くさ。部屋はいくらでもあいてる。・・[男が行こうとすると] 駄目だよ、そんなに急いぢや・・・。(男を引き留める) どら、どんな顔をしている。(男の顔を覗き込む) ちつたあ、笑へよ。(と云ふなり、男の頬へ唇を当てる)

男:なにするんです。(と云ひながら、驚いて女を突きのけ、逃げ去るように走り去る)

女:(笑ひながら) 戯談よ、今のは戯談・・・。何処へ行くの・・・。もうしないつてば・・・。本当にもうおしまひよ

[この「おしまひよ」は、冗談=お芝居はおしまいよ、という意味である。でも、一人残された女は、この後、深夜まで、浜辺で一人すすり泣いていた]

 

ここは、この劇のクライマックス。フランスに留学しフランス人の恋愛をたくさん見てきた岸田國士が、考えに考え抜いて創作した科白だと思う。男言葉になって求愛するこの女は、何と魅力的なのだろう! 私は一瞬、『お気に召すまま』のロザリンドを思い出した。男言葉だけでなく、「芝居をしている」ふりをしながら求愛するのも同じだ。でも、そんな女が1926年の日本に、本当にいただろうか? このシーンはやはり、岸田が理想化する「恋愛」を描いているのではないか? 演劇は、人間の生き様を「必然性のある可能態として再現する」(アリストテレス詩学』)。このシーンは、1926年の男女が真剣に恋愛を模索しているという点で「必然性」があるだろう。(写真↓の、右下から左に、「恋愛恐怖病」の女と男、上と左下は、あと二つの劇)

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