『ドン・ジョバンニ』DVD三昧

charis2009-07-20

[DVD] モーツァルトドン・ジョバンニ』DVDを三本見る


(写真はいずれも2008年、コヴェントガーデン王立歌劇場。右は、ジョバンニ(キーンリサイド)とツェルリーナ(ミア・パーション)の二重唱、下は、終幕、全裸のジョバンニとドンナ・エルヴィラ、二人があの世で結ばれるという新解釈)

昨日は、久しぶりに自分で時間を一日使える日だったので、買い置いたDVD『ドン・ジョバンニ』をまとめて三本見た。
(1)カラヤン指揮、ハンペ演出、ザルツブルク音楽祭、1987、
(2)ヤーコプス指揮、ブサール演出、バーデン・バーデン歌劇場、2006、
(3)マッケラス指揮、フランチェスカ・ザンベロ演出、コヴェントガーデン王立歌劇場、2008
の三本だが、見比べるといろいろと発見があって面白かった。


(1) 画質も音質も悪いのが残念だが、演出のコンセプトは明確で、全篇に「死」の匂いが漂っている。ドンナ・エルヴィラを歌うユリア・ヴァラディが素晴らしい。もう若くはないが、硬く思いつめた氷のような表情には、言うに言われぬ凄みがある。ジョバンニに繰り返し裏切られ、憎しみが増せば増すほどジョバンニに惹かれていくという逆説、最後までジョバンニから自由になれないエルヴィラが放つ冷たい光こそ、この作品にデモーニッシュな輝きを与えている。


ドン・ジョバンニ』は演出や配役によって、全体の印象ががらりと変わる不思議な作品だ。本来、"性豪伝説"というのは喜劇なわけで、モリエールドン・ジュアン』はどう見ても喜劇だが、モーツァルトドン・ジョバンニ』はそうとも言えない。性愛というものは、人間同士を深く結び付けると同時に、深く引き離しもするという両義性があり、この両義性が我々を単純に笑いへと誘わないのだ。この作品では、ジョバンニ以外でもっとも重要な人物はドンナ・エルヴィラだが、彼女は喜劇的キャラクターなのだろうか? たしかに彼女は、真面目一本槍で、頭の固い融通の利かない女だ。レポレロが楽しげに歌う「カタログの歌」で、「貴女はジョバンニがものにした1800人目の女性ですよ」と言われて、ただただショックを受けるだけだし、変装したレポレロをジョバンニと間違えてメロメロになり、それが分ったときは恥ずかしさと悔しさで倒れてしまう。ここまで虚仮にされるエルヴィラだが、最後にジョバンニの晩餐の場に駆け込み、「私の愛の証を、もう一度あなたとしてみたいの。お願いだから、更生して、正しく生きてください」と懇願する彼女を、ジョバンニは笑って相手にしない。


ジョバンニの地獄落ちの後、エルヴィラは「ああ、すーっとした、私は新しい夫を探そう」とは言わずに、「私は修道院に入ります」と言う。結婚延期を申し出るドンナ・アンナもオッターヴィオとは結婚しそうもない。ツェルリーナも含めてジョバンニが関った女性たちは、たとえジョバンニが死のうと、もはや普通に生きていくことができそうもない。こういう形で物語が終わってよいものだろうか? その点を考えたのが、(3)である。


(3)は2002年初演の作だが、キーンリサイドが演じるジョバンニは凄みがある。演出が女性のせいだろうか、色々と工夫がなされている。さまざまな場面で、エルヴィラ、アンナ、ツェルリーナの三人は肩を寄せ合うように並ぶことが多く、女性同士が力を合わせてジョバンニと対決するという構図なのだろう。最後のジョバンニの晩餐の場面に、エルヴィラがウェディングドレス姿で駆け込んで来たのでびっくりしたが、終幕に、全裸のジョバンニがエルヴィラを抱いているので納得。あの世で二人は結ばれるのだ。
[驚いたことに、この(3)は、全篇がYou Tubeで見れるようだ。↓]
http://www.roh.org.uk/video/index.html?bcpid=1733261711&bclid=1780606125&bctid=1813502761


(2) しかし、今回見た3本のDVDでもっとも良かったのは、ルネ・ヤーコプス指揮の2006年公演である。現代的なシンプルな空間を舞台に、何よりも、歌手たちがとても若く、瑞々しい。ジョバンニを演じるノルウェーヨハネス・ヴァイサーは20代半ばで、初演時には21才だったという。ドンナ・アンナも若く美しい。ジョバンニを未熟な青年として造形し、全体をスタイリッシュに洗練することによって、主題の重苦しさを少しでも軽くしようという演出だ。ツェルリーナもマゼットも、その仲間たちも、みな田舎の青年ではなく、おしゃれなシティガールとシティボーイで、子どもも加わっている。


通常の「プラハ版」ではなく「ウィーン版」を使っているので、いろいろと場面が加わって楽しい。たとえば、レポレロの変装がばれた少し後、ツェルリーナが包丁を振り回してレポレロをいじめるシーンは痛快だ。また、第一幕最後の、ツェルリーナ陵辱の場面も普通と全然ちがう。ツェルリーナとジョバンニは姿を消すことなく、ずっと舞台にいる。全員が楽しくダンスを踊りまくる場面が続き、ツェルリーナも嬉しそうにジョバンニと踊っているのだが、あるときジョバンニにぐいっと肩車のように抱き上げられてしまい「キャーッ」と叫ぶという、衆人環視の中の出来事なのだ。最後のジョバンニの晩餐の場面も、透明なテーブルの上でパフォーマンスをしているような、現代舞踏風の演技。このような"軽み"によって、物語の全体に疾走感が生まれている。本作は、『ドン・ジョバンニ』上演史を画する傑作といえるだろう。日本語字幕版もほしい。
[(2)も、You Tubeで一部が見れる。最初のツェルリーナの二重唱は可憐で瑞々しい。↓]
http://www.youtube.com/watch?gl=JP&hl=ja&v=YMX5fd0i8IM
http://www.youtube.com/watch?gl=JP&hl=ja&v=yhckHg2Zlkg
http://www.youtube.com/watch?gl=JP&hl=ja&v=lmP6lFFuFA4