鶴屋南北『桜姫』(歌舞伎版)

charis2009-07-29

[演劇] 鶴屋南北『桜姫』(歌舞伎版) 渋谷コクーン

(下の写真は、清玄と桜姫)

6月には、現代劇化した『桜姫』(南米版)を見たが、続いて7月には、歌舞伎版が上演された。南米版の方は、混沌として何が何だかよく分らない作品だったが、歌舞伎版はずっと分りやすい。もっとも、串田和美演出によるコクーン歌舞伎なので、オペラなどの西洋音楽が使われたり、いろいろと工夫がなされている。


それにしても、このようなとんでもない物語で幕末期の歌舞伎を盛り上げた鶴屋南北という人は凄い。あまりにも込み入った話で、信じられないほどたくさんの出来事が詰まっている。だが、全体を太い棒のように桜姫という一人の人物が貫いており、一つ一つの出来事はいかにも作り事めいて荒唐無稽でありながら、全体が大きくうねりながら反転し、最後には必然に収斂してゆく離れ業が素晴らしい。そもそも話の中心はとてもエロティックなものだ。僧の清玄(中村勘三郎)は、同性愛の契りを結んだ少年白菊丸(勘三郎の息子の七之助)と海に身を投げて心中するが、清玄だけが助かってしまう。入水するとき白菊丸は、「次の世では女に生まれ変わって、あなたと一緒になりたい」と言う。十七年後、まったく無関係の公家吉田家の娘桜姫は、父や兄が殺されたのをはかなんで出家しようとするが、その祈祷をした清玄は、桜姫の手の中に、心中した際に持っていた名前入りの香箱を発見する。桜姫を白菊丸の生まれ変わりとみなした清玄は、姫に恋焦がれてストーカー化する。生まれ変わった女に恋しているのか、同性愛の少年に恋しているのか分らないバイセクシュアルな妖気が清玄の持ち味だ。


ところが桜姫の方は、ストーカー化した清玄の求愛をことごとくはねつける。その理由がまた凄い。姫はかつて見知らぬ男にレイプされたとき、その男の肌が忘れられず、男が腕に彫っていた刺青と同じ刺青を自分の腕にも掘り込むほど、その男に惚れてしまったので、他の男ではダメなのだ。レイプで生まれた赤子をこっそり育てているのだが、その赤子は、劇の最初から最後までうっとうしく泣きながら付き纏う。このように、桜姫はとても奇妙な女なのだが、いかにも名門公家のお嬢様風に、ひたすらお上品にふるまうところがおかしい。そして、運命が変転する終わり近くになって遊女に売られた桜姫は、商売を通じてきっぷのいいアネゴ肌の娼婦に変身をとげ、べらんめえ口調になっている。その対比がじつに面白く、しかも最後には、再びお嬢様に戻って名門公家を再興するのだ。


桜姫は自分をレイプした男権助(ごんすけ、中村橋之助)と出会い、夫婦となる。つまり、桜姫という一人の女に、清玄と権助という二人の男が絡まりあって、もつれにもつれるのが物語なのだが、清玄と権助は実は生き別れた兄弟だったという荒唐無稽な話になっている。清玄の弟子の残月というどうしようもない生臭坊主と、桜姫の世話をする局の長浦というあくの強い年増女が惚れ合ってしまう絡みも、実に生き生きとして面白い。最後に、権助が実は吉田家の父を殺した犯人と分り、桜姫は権助を殺し、吉田家を再興するという物語。


歌舞伎はめったに見ないのだが、それにしても男の色気の見事さには驚かされる。桜姫を演じた七之助も美しいが、何よりも権助を演じた橋之助の色気が凄かった。観客の8割方が女性だったのもうなずける。コクーン歌舞伎の大胆な演出も鮮やかだが、通常の歌舞伎の舞台でこの『桜姫東文章』を見てみたい。