(写真は石田波郷1913〜69、水原秋桜子に師事したが、のち俳誌「鶴」を創刊・主催、独特の美しい句を詠んだ、俳句の切れ字を重視)
・ 夕立の一粒源氏物語
(佐藤文香2002、作者1985〜は高校2年生、俳句甲子園で最優秀賞に選ばれた句、「作者は源氏物語を読んでいる、そこへ夕立が来て、最初の雨粒が落ちてきた、雨粒は、意識を源氏物語の外に向けるのではなく、さらに深く内へ誘う」) 9.1
・ 海の門や二尾に落つる天の川
(山口誓子『凍港』、真っ暗な海峡の夜空、「二つの尾になって海に落ちる」雄大な天の川、大正15年以前、作者の初期の作) 9.2
・ 花びらにゆるき力の芙蓉かな
(下田実花、芙蓉の花は大きく柔らかく広がって美しい、「ゆるき力」という形容が卓越) 9.3
・ 川の字で寝ているときに真ん中が激流なんてことはないかな
(ナポ銀金時・男・33歳『ダ・ヴィンチ』短歌欄、穂村弘選、両親の間で「川の字」に寝ている子ども、よく動く子なのだろう、いつのまにかいなくなり、朝になってみると布団の外にいたりして) 9.4
・ 唇で歌う讃美歌なにもかも間違ってしまいそうな予感に
(鈴木春香・女・32歳『ダ・ヴィンチ』短歌欄、穂村弘選、「結婚式の讃美歌、二番以降はまったくわからなくて、神様ごめんなさいと思います」と作者コメント、あるある、こういうこと、歌っているかのように唇だけ動かす) 9.5
・ わからないわからないけど顔らへん納豆の糸顔らへんふわり
(小坂井大輔・男・33歳『ダ・ヴィンチ』短歌欄、穂村弘選、「顔についた納豆の糸はどこにあるか分からないけど確かにある」と作者コメント、そう、ほんとうにこんな感じだ、「顔らへんふわり」と) 9.6
・ 飼っているカエルの餌のコオロギが信じられない音量で鳴く
(石川明子・女・40歳『ダ・ヴィンチ』短歌欄、穂村弘選、「コオロギを飼っていたこともあるのに、カエルを飼ってしまったとたん、コオロギは餌になってしまう」と作者コメント、何だか凄みのある歌) 9.7
・ 女郎花(をみなへし)折りけん袖のふしごとに過ぎにし君を思ひいでやせし
(藤原仲平『後撰和歌集』、「伊勢さん、貴女は宇多法皇に贈るために、自分の家の女郎花の花を折り取りながら、法皇との恋の折々の場面を思い出したんでしょ、だったら元カレの僕のことも思い出してよ」、「女郎花を折る」は性的な隠喩、カッコよく切り返す伊勢の返歌は明日) 9.8
・ 女郎花(をみなへし)折りも折らずもいにしへをさらにかくべきものならなくに
(伊勢『後撰和歌集』、「私が女郎花の花を折ったにせよ折らなかったにせよ、そんなことどうでもいいじゃん、昔の恋をいちいち思い出したりしないの、私」、「女郎花を折る」は性的な隠喩、元カレのおせっかいをさっとかわす作者、昨日の歌の返歌) 9.9
・ ためらってまた矢のごとき蜻蛉かな
(小沢信男、トンボは、じーっと空中に浮かんでいたかとおもうと、突然ぴゅーっと飛び出すように高速で移動する、それを見事に捉えた句) 9.10
・ 赤とんぼ七歳(ななとせ)過ぐるおらびごゑ
(角川春樹『カエサルの地』1981、「おらび=叫び」、作者1944〜は父・源義の死後、角川書店社長に就任、この句は、山本健吉氏の註によれば、父の七回忌での作、葬儀で作者は、父の愛唱歌「赤とんぼ」を、叫ぶように大声で歌った) 9.11
・ ほのぼのと愛もつ時に驚きて別れきつ何も絆(きづな)となるな
(富小路禎子『未明のしらべ』1956、好きな男性ができかけて嬉しい作者、だが、ある時彼が、傷つけるようなことを言ったのか、それでショックを受けて、その場で別れてしまった、「何も絆となるな」に深い悲しみが) 9.12
・ 愛してる愛してない花びらの数だけ愛があればいいのに
(俵万智『サラダ記念日』1987、花びらをむしりながら花占いをしている途中で、ひょっとして最後の花びらが「愛してない」だったらどうしよう、という一抹の不安、この花びらがぜんぶ、否定を含まない「愛」だったらいいのに) 9.13
・ 君以外だれも容れずにびんと鳴る弓弦(ゆづる)のごときわれの右側
(松本典子『いびつな果実』2003、デートだろう、作者の右側にぴったり彼が寄り添っている、作者の体の右端は、あたかも弓の弦が「びん」と鳴るように緊張して、彼以外の人なら弾き飛ばす) 9.14
・ 秋の雨始発の人の変わり無く
(毛利千代子、小さな駅から始発電車に何度か乗ってみると分かるが、同じ人を何人か見かける、始発で通勤しているのだろう、作者もおそらくその一人なのか) 9.15
・ 母とわが髪からみあう秋の櫛
(寺山修司、ちょうど自分の櫛が見当たらなくて、母の櫛を使ってしまったのか、それとも母が自分の櫛を使ったのか、作者の母に対する感情には、この櫛の髪のように、複雑な愛憎が絡み合っている) 9.16
・ かは風の涼しくもあるかうち寄する波とともにや秋は立つらむ
(紀貫之『古今集』巻4、「川を吹く風が涼しいな、この風とともに波が立って打ち寄せる、こうして秋になるんだなぁ」) 9.17
・ おしなべてものを思はぬ人にさへ心をつくる秋のはつかぜ
(西行『新古今』巻4、「秋の初風が吹いた、ふだんあまり思い悩んだりしない人でも、本当にしみじみとした気持ちになるよ」) 9.18
・ ながめわびぬ秋よりほかの宿もがな野にも山にも月やすむらむ
(式子内親王『新古今』巻4、「淋しい気持ちで月を見るのは、もう耐えられない、秋という季節に無縁の家に住みたいわ、でも、どこの野に行っても山に行っても、月が澄(住)んでいて、月からは逃げられないのかしら」) 9.19
・ 隱家(かくれが)も現(あら)はになりし野分かな
(高濱虚子1940、いつもは周囲の樹木に隠されてよく見えない家屋だが、台風の強風でどの樹も吹きすぼめられて、裸にされてしまったようによく見える、「隱家」という表現にユーモアが) 9.20
・ 小さなる栗なつかしき山家(やまが)かな
(村上鬼城、「山中のひなびた小屋、前に来たときと同じように、小さな栗がたくさんなっているよ」) 9.21
・ 己(おの)が影を踏みもどる児よ夕蜻蛉(ゆふとんぼ)
(富田木歩(もつぽ)1897〜1923、作者は貧困に生まれ小児麻痺のため小学校にも行けなかった、関東大震災で行方不明、「夕陽を背にした男の子が、自分の前方の影をぴょんぴょん飛んで踏みながら歩いてゆく、夕とんぼみたいだな」) 9.22
・ 秋彼岸すぎて今日ふるさむき雨直(すぐ)なる雨は芝生に沈む
(佐藤佐太郎『地表』1956、彼岸を過ぎると、降る雨も「さむい」、まっすぐに降る雨が直ちに芝生に吸い込まれてゆくという鋭い観察、今年は昨日が彼岸) 9.23
・ 心に音符をいっぱいつるしてもやっぱり寂しい秋
(永井陽子『葦牙(あしかび)』1973、作者の20歳前の歌、1971年角川短歌賞候補になった「太陽の朝餉」の一首、後年、生きることの孤独、寂しさをたくさん詠んだ作者だが、最初期からこういう歌が混じる) 9.24
・ 空港に腰かけてゐる 生まれる前にすべてが始まるのを待つてゐた席
(井辻朱美『水晶散歩』2001、「空港で搭乗を待っている私、人のいない待合室で離陸する飛行機をぼんやり眺めている、そうか、生まれる前に、自分が生まれるのをこうして待っていたことがあったなぁ」) 9.25
・ 露の玉蟻(あり)たぢたぢとなりにけり
(川端茅舎、アリにとって一粒の露はずいぶん大きい、つつつと順調に進んできたアリが露にぶつかって進めず、戸惑っている、「たぢたぢとなりにけり」が俳諧的でいい) 9.26
・ 秋風や夢の如くに棗(なつめ)の実
(石田波郷、「徳県にて」と前書、召集されて中国戦線に従軍中の句、山本健吉氏によれば、山東省の民家の庭で棗の実を見た途端、故郷で見た棗の実が思い出された望郷の句、「夢の如くに」が美しく、波郷らしい) 9.27
・ 生れたる日のごと死ぬる日のごとく今日を思ひてわれ旅に行く
(与謝野晶子『夏より秋へ』1914、ヨーロッパにいる夫の鉄幹を追って、旅立つ日の歌、渡欧も大変だった時代、行くか行かぬか迷った末、必死の思いで乗船したのだろう) 9.28
・ 果物皿かかげふたたび入り来(きた)る靴下はかぬ脚稚(をさな)けれ
(近藤芳美『早春歌』1948、戦前、作者がまだ独身の若い時の歌、果物皿をもって戻ってきた彼女は靴下をはいていないので、その脚が少女のように「幼い」と感じる、もう相思相愛の恋人だったのだろう、後年の妻とし子) 9.29
・ ただ一人の束縛を待つと書きしより雲の分布は日々に美し
(三国玲子『花前線』1965、婚約の頃か、彼氏に手紙で「貴方だけに束縛されたい」と書いた作者、事実上の結婚承諾の言葉、「雲の分布」がいい、「模様」や「形」と言うより、はるかに喜びが大きく伝わってくる) 9.30