新国立劇場『ワルキューレ』

charis2016-10-15

[オペラ] ゲッツ・フリードリヒ演出『ワルキューレ』 新国立劇場・ 2016.10.15


(写真右は、終幕、愛娘ブリュンヒルデを火の防護の中で眠らせるヴォータン、下は、第1幕(右下にいるのがジークリンデ)と第3幕(ヴォータンからブリュンヒルデを守る妹ワルキューレたち)、とても美しい舞台)


ゲッツ・フリードリッヒの『指環』演出は、最初の『ラインの黄金』を「サテュロス劇」風の喜劇と位置付けるので、昨年10月の『黄金』では、神々が滑稽に造形されていた。『ワルキューレ』以降は、本来の悲劇の様相になっており、何よりも主題そのものを深めようとする演出だ。「愛と権力の葛藤」が『指環』の主題だが、それに加えて『ワルキューレ』では、神の娘ブリュンヒデが神から人間に降格されるので、「神が人間になる」という重大なテーマが重なっている。今回の上演であらためて思ったのは、科白(歌詞)の一つ一つが深く胸に響くことで、『指環』の思想劇としての深さである。神々の王ヴォータン、王妃フリッカ、ヴォータンと智恵の女神エルダとの間に生まれた王女ブリュンヒルデ、ヴォータンと人間の女性との間に生まれた双子の兄妹ジークムントとジークリンデ。彼らは単なるキャラクターではなく、全員が「愛」のアレゴリーであるが、それぞれが愛のもつ異なった側面、たとえば男性性や女性性、神聖さ、権力や支配、契約、結婚制度、二律背反、神と人間のハーフ等々の象徴となっている。ワーグナーの「楽劇」は、モーツァルトと違って、音楽だけでなく、科白を深く理解しないと本当に味わうことができない。(写真下は、ヴォータンとフリッカ、ヴォータンとブリュンヒルデワルキューレたち)



それにしても、今回の舞台では、『指環』全体の真の主人公と言えるブリュンヒルデの素晴らしさに、あらためて感嘆した。これまでに形象化された神話的女性、たとえばソフォクレスアンティゴネリア王のコーディリアなどにも比肩する、というより、愛そのもののアレゴリーとしては、いっそうスケールの大きい神話的女性ではないだろうか。そして、アフロディーテとも聖母マリアとも違って、神においても人間においても、愛はどこまでも二律背反から自由になれず、決して完成することがないことを、ブリュンヒルデは我々に教えている。彼女は神から人間に「降格」されただけではなく、人間として結婚した夫ジークフリートにも裏切られて、最後には自殺する。ブリュンヒルデは、愛の完成不可能性のアレゴリーなのだが、彼女がもっとも輝いているのは、やはり『ワルキューレ』ではないだろうか。誰よりも従順な「父の娘」であり、ヴォータンの「意志そのもの」であったブリュンヒルデジークムントを殺しに行った彼女が、ジークムントとジークリンデの愛の前に敗北し、生まれて初めて父王に反逆して二人を逃がすシーン。それまではワルキューレの一員としてむしろ「死に神」であったブリュンヒルデは、ここで初めて愛に目覚める。そして終幕、突然駆け寄ってブリュンヒルデを抱き、「口づけをして神性を奪う」ヴォータンの父の愛。これはブリュンヒルデの愛の前に、権力と支配のアレゴリーであるヴォータンが敗北する瞬間である。愛がこれほど崇高に輝く場面は、数多の芸術作品の中にもめったにないが、おそらく神話的にしか表現できないのだろう。私は、『ワルキューレ』を観た後はいつも、帰宅してから終幕をドイツ語対訳で読み直すのだが、何度読んでも、やはり素晴らしい。


(ブリュンヒルデ) 私は賢くはありません、でも一つだけは知っていました。それは、お父さまがヴェルズング(人間)を愛していたということです。・・・この耳が聞き、この目が見たものは、私を心底から揺り動かしたのです。勝利であれ、死であれ、ジークムントと分かち合うこと、それ以外に選ぶべき運命は考えられませんでした。この胸を愛の息吹で満たしたのは、あなた。あの人との絆を取り結んだのも、あなた。ご本心を知り尽くしているがゆえに、ご命令にそむいたのです。


(ヴォータン) お前に求婚することができる者は、父である神よりも自由な男だ。お前のその輝く二つのまなこを、私はどれだけ愛したことだろう。お前の二つのまなこよ、今生の別れに、もう一度だけ、私の願いをかなえておくれ。これが最後の口づけだ。お前の瞳よ、星となって、私よりも幸多き男に輝いておくれ。不幸な神である私は、こうしてお前の眼を閉じる。こうして神は娘と別れる。この口づけでもって、お前の神性を奪うのだ。


歌手は、ヴォータンはやや声量が小さいように思ったが、ジークムント(グールド)、ジークリンデ(ウェーバー)、ブリュンヒルデ(テオリン)、フリッカ(ツィトコーワ)、みな素晴らしかった。


約6分の動画が二つあります。最初の後半は、ヴォータンがブリュンヒルでデを抱きしめるシーン。二番目はゲネプロですが、重要シーンが網羅されています。

http://www.nntt.jac.go.jp/opera/walkure/movie.html

https://www.youtube.com/watch?v=EjgHBUla8_g