オペラ『眠れる美女』(川端康成原作)

charis2016-12-10

[オペラ] デフォート作『眠れる美女』 12月10日 東京文化会館


(写真右はポスター、下は舞台より、老人役の長塚京三と女将役の原田美枝子)



ベルギーの作曲家クリス・デフォートと台本・演出ギー・カシアスの共作で、2009年初演のオペラ『眠れる美女』を観た。日本初演川端康成の原作は、薬で深く眠らされた全裸の娘に老人が添い寝するという秘密の館の話で、演劇的要素は非常に乏しい。どうやってオペラにするのだろうと思っていたが、実にうまくオペラ化されているのに驚いた。三島由紀夫は、川端の『眠れる美女』を、「形式的完成美を保ちつつ、熟れすぎた果実の腐臭に似た芳香を放つデカダン文学の逸品・・・、およそ言語による観念的淫蕩の極致・・・、ローマ法王庁がもっとも嫌悪する、「愛」からもっとも遠い性欲の形・・・」と絶賛している。つまり原作は、意識のない娘の体を老人が執拗にまさぐるというおぞましい話なのだが、それがオペラ化によって、きわめて美的に昇華されている。それは小説に含まれるさまざまなレベルの表象を、科白を語る俳優/歌う歌手/コーラス/ダンサーのパントマイム/CG画像などにうまく役割分担させたからである。娘には意識がなく、老人が体をまさぐるのに反応して寝返ったり、眉をしかめたり、わずかに寝言を言ったりする程度だが、それに対応して老人には、自分が関係した過去の女たちの記憶がどっと甦り、性的夢想や妄想にふけるだけでなく、自分が寝てからも夢に見る。そうした女の表象の乱舞は、処女性、娼婦性、母性が分離しては絡み合い、老人にとってきわめて息苦しい苦痛であり、いつしか老人は自分が死に近づくのを感じる、というのが原作の筋である。小説では、それが老人の意識内容として地の文の中で描かれるのを、オペラでは、表象を分散して呈示することができる。写真下は、意識のない娘の身体感覚を、老人の性的妄想を媒介してパントマイムで身体表現するダンサーの伊藤郁女(かおり)↓。舞台中央の高位置に宙吊りにされ、最初は花のように大きく広がる衣服で、次は裸体を拡大された影絵で映し、最後は実物大の裸体で表現するという、三段階の転換が見事。最後は、吊るされたロープに体を巻きつけるアクロバティックな体操のようだ。


原作の地の文で表現された性的妄想を、すべて身体表現や音楽で表現することは難しいので、地の文をそのままコーラスが歌うことによって、やや説明的になってしまうため、その部分はやや退屈な感は否めない。しかし、最後、老人が自分の死を夢想している間に、眠っている娘の息が突然絶えてしまうシーンは、タナトスとエロスが表裏一体となった凄い幕切れと思う。全体に、CG画像を非常にうまく使っているので(写真下↓)、視覚はつねに舞台に釘づけになる。


指揮はパトリック・ダヴァン、オケは、東京芸大シンフォニエッタ。時間は、休憩なしの90分。日本初演のマイナーなオペラにもかかわらず、東京文化会館若い女性も多く、満席だった。