[演劇] 別役実『鼻』 文学座公演 紀伊國屋サザンシアター 10月26日
(写真右は、自称「将軍」の老人を演じる江守徹と、付き沿いの女を演じる栗田桃子、写真下は舞台)
別役実の劇は、『マッチ売りの少女』と『象』しか観ていないが、どちらも非常な傑作だった。『鼻』は1994年に、文学座の長年の看板公演であるロスタン『シラノ・ド・ベルジュラック』に関連する劇として、別役が書き下ろし、初演された。だから『鼻』なのだ。舞台は、修道院が経営する老人病院の裏庭。意識も記憶も定かでない老入院患者、修道女の看護婦、医師、付き沿いの自称「家族」などが、ちぐはぐで滑稽な対応を繰り返す。「不条理劇」と言われているが、不条理劇にしては、どこか中途半端な気がする。それは、『シラノ・ド・ベルジュラック』を長らく演じてきた、三津田健、杉村春子を「記念する」ために、この劇が書かれたという事情によるものだろう。「将軍」を自称する老人は元俳優で、かつてシラノを演じたとき、鼻を付けるのを忘れて舞台に立ち、首になった経歴がある。同時に入院している老女は、やはり自分が誰だかわからなくなっているが、元女優で、シラノの純愛の対象であったロクサーヌを演じていた。そしてたぶん、二人の俳優の間にも純愛があった。そういう過去をもつ老人入院患者の、過去にしがみつく妄想に看護婦も医者も付き沿い人も振り回される。病院が、修道院の経営なのに、儲け主義で長期患者を追い出そうとして、小賢しい策を弄するところがお笑いなのだが、しかし考えてみれば、これはそれほど「不条理」な話ではないように思える。「鼻」がたくさん庭の樹にぶらさがっているのはグロテスクだが、それが最後に、シラノ役の俳優が付ける模型の鼻だと分かり、納得がいくので、「条理」が通ってしまう(そうした過去が、間違ってもらってきた手紙から分かる、というのは上手い設定)。たしかに、杉村春子の肉声が録音で響くのは、懐かしさがある。が、文学座の歴史をよく知り、大いに共感を持っていないと、シラノの「鼻」にそれほど共感できないかもしれない。ただし、江守徹、渡辺徹、そして女優陣も、演技はとてもうまく、渋い滑稽さがよく出ていたと思う。(写真下は、修道女の看護婦たちと付き沿いの女性)