ウースター・グループ『タウンホール事件』

charis2018-09-29

[演劇]  ウースター・グループ『タウンホール事件』 横浜・KAAT 9月29日


(写真右は舞台、右端はイギリスのフェミニストであるジャーメイン・グリア、中央左のジーンズジャケットの女性はレズビアン活動家のジル・ジョンストン、彼女の左の男性は二人ともノーマン・メイラー、後に映ってるのは、実際のシンポの画像で、映っているのは実在のグリア、写真下は、ケンカする二人のノーマン・メイラーと仲裁する妻(看護婦?))

「タウンホール事件」というのは、1971年にニューヨークのタウンホールで行われた女性解放をめぐるシンポジウムのこと。ノーマン・メイラーの『性の囚人』を批判する討論会で、フェミニストたちとメイラーの激しい討論がなされ、会場の多数の聴衆のヤジや不規則発言なども含め、大荒れだった。画像はすべて映画に収録されているので、それの一部をスクリーンで見せながら、その討論を舞台で「再演」(re-enact、再構成、再解釈)してみせるのが、ウースター・グループの今回の上演。画像の声に合わせて、まったく同じ内容を同じ速度で俳優がしゃべるのだが、(終演後のディスカッションで誰かが述べたように)身振り手振りはわずかに違う。シンポの議論は非常に面白く、誰の発言も知性溢れ素晴らしいものだ。メッセージ性が豊かで、レトリックが見事。韻を踏んでいるような詩的な言葉で語るので、聞いていて快い。グリアの発言は、詩人シルヴィア・プラスが夫のためにパンを一生懸命焼く「可愛い妻」だった例を引いて、男性芸術家の優れた芸術表現は、彼の男性としての魅力を高めるが、女性芸術家の優れた芸術表現は、彼女の女性としての魅力として評価されないと、男性支配を批判した。しかしその後、レズビアンのジョンストンが、レズビアンなら男性が女性を支配するという抑圧の問題をぜんぶぶっ飛ばせる(?)というように、レズビアンを賛美したので、議論が錯綜して混乱し、彼女はガールフレンドともつれながら退場する。下の写真は、後の画面に映っているのが発言する実在のジル・ジョンストン、その下の写真は、会場をガールフレンドと共に退出した(?)ジル・ジョンストン↓


シンポの様子はよく分かったのだが、この舞台は同時に、シンポにかぶせてメイラーの映画『メイドストーン』をオーバーラップさせるので、そちらの方は何が何だかよく分からなかった。映画監督の妻である俳優が映画にキャスティングしてもらえないと夫に苦情を言うのは男性支配の話だと分かるが、メイラーには分身のメイラーがいて、二人が激しくケンカして一人が血を流すシーンは、よく分からなかった(写真↓)。『メイドストーン』にあるのだろうが、なぜメイラーが二人いるのか? そのせいで(?)、シンポにもメイラーが二人いるのがなぜなのか分からなかった(司会者としてのメイラーとパネリスト発言者としてのメイラー?)。メイラーはなかなか狡猾で、発言も振る舞いもとてもうまい。ジュディス・バトラーの有名な「生物学は運命ではない」という言葉は、ひょっとするとメイラー発言を受けているのかもしれないと感じた。というのは、メイラーは、「女性の運命は完全に生物学で決まるということはないが、しかし50%は生物学で決まるのではないか」と発言しているからである。愚劣なバックラッシュ・オヤジという感じではない。女性芸術家の地位は、1971年より現在はずっと高いが(演出のルコンプトはディスカッションでそう言った)、それを除くと、このシンポの議論は現在でも「再演」されてしまうように感じた。