西研他『不美人論』

[読書] 藤野美奈子・西研 『不美人論』 (2004.3, 径書房)

とても真面目な本で、優れた現代若者論であると同時に、現代社会論でもあり、倫理学でもある。漫画家の藤野は、「いままで、性格のいいブスが、ヤな性格の美女よりも一般に損しているのをみると、どうしても納得いかないような、くさくさした気持ちになっていた」が、一般の女性の顔について、美醜の問題を理論的に扱う言説は意外に乏しい。それで、哲学者の西研との対談を機会に、積年の思いを一気にぶちまける。西は、問題を「本人の心の動きに則して考察する」現象学的視点から捉え返し、「美醜が人々の大きな関心になり、美醜をめぐるゲームに多数の人が巻き込まれる」現代の状況を、冷静に分析する。

(1)「豊かさと高学歴を求める」日本の近代化が一応達成された1980年代以降、日本の社会は、「快楽を求めるために生きる」のが普通の人間の生き方になった。「他人に評価され、愛され、受け入れられたい」という欲望が通奏低音のように我々を支配する。結婚を強制する規範が弱まり、「見合いを世話するオバサン」もいなくなった代り、「エロスの自由市場にみんなが投げ出され」た。つまり「他人によく思われる」という美醜をめぐるゲームに参加せざるを得なくなった。

(2)ヘーゲルの相互承認論を援用しつつ、西は、「自分についての良いイメージ」をもつには、他者からの承認と評価が不可欠であるという。この承認は大きく分けて二つある。すなわち、(a)共同体や広く社会において一定の役割を演じることによって、その能力が高く評価されること(いわゆる「仕事ができる奴」)、(b)男女や家族の原理である、「他者に愛されている」というエロス的な愛情関係。女性の社会的進出によって、(a)の「役割関係」で高い評価を得る女性も出てきたが、人間は(b)の「エロス的愛情関係」も含めて両方を手に入れないと本当の満足は得られない。だから美醜のゲームが過熱する。

(3) 美人よりもむしろ「かわいい女の子」が評価される理由は、美人は、自然的な希少価値という点で、実は社会的「役割関係」の契機が大きいのに対して、「かわいい」は「愛情関係」の評価に密接に関わるので、より多数の自己願望に合致する。男性は「役割関係」を主軸に、女性は「愛情関係」を主軸に生きるのが、社会の「型」だったが、最近は「かわいい」を自分に求めて恥じない男の子も出現した。