[読書] 『親密圏のゆくえ』(青木書店 2004年10月)
佐藤和夫氏と豊泉周治氏の論文は面白かった。ともにハンナ・アーレントを出発点にする。日本では、アーレントのいう公的生活と私的生活のどちらも確立しないまま、「社会的なもの」によって私的生活が侵食され、個人が家族にすら「居場所」を見出しにくくなった。その結果、人間が生きるために不可欠の「親密圏」が揺らぐという趣旨。
豊泉は、ネットやケータイで個人が家族を飛び越して外部と繋がる事態に焦点を当てる。家族や恋人以外には知られなかったプライヴェートな自分を、不特定多数に簡単に晒すことができる。「はてなダイアリー」がまさにそれだ。若者の私的な「日記」が溢れている。若者じゃないが、この日誌もそうだ(^o^)。中年オヤジもたくさんブログをやっている。そこには、親しい友人と電話で話すような私的感情の遣り取りがある。
豊泉は、「誰にも見られていないかもしれない」という孤独への不安が、ケータイで他人と繋がらないと安心できない心性を生み出すという。だが、ケータイやネットで他人に求める交流は、家族や恋人とのそれとは、やや違ったところにあるのではないか。新しい「親密圏」が快いものならば、それは定着するだろう。
私的感情への「退行」が大衆社会のファシズムを生み出すという危惧(アーレント)もある。だが一方では、インターネットは権力やマスコミによる情報操作を無効にする。保守派には、夫婦や親子の人間関係が希薄化し、家族という親密圏が弱まって、出産や子育て能力が低下するから少子化になると、危惧する人もいる。
だが、そもそも少子化は悪いことなのか? 地球規模でみれば環境面で人口は限界だ。先進国の人口減は理に適っている。教育産業に携わっている関係上、大声で「少子化? いいじゃないの」とは言いにくい。しかし、もし人間が今まで以上に個人単位で生きることができるならば、それは、結婚や家族よりもずっと価値がある。