モツァルト「愛の女庭師」

[オペラ]  10.23  モツァルト「愛の女庭師」 モツァルト劇場公演  新国・中H

その前に、渋谷に寄って「グッゲンハイム美術館展」を見る。19世紀末から約100年間のモダンアートを時系列に展示。ある時期から突然つまらなくなるのが面白い。「モダン」なる芸術の「様式」(?)にも「旬の時期」があるようだ。

さて、モツァルト18歳のオペラ。こんな面白い作品が日本初演とは信じ難い。原語上演ではなく、新訳の日本語歌詞だが、科白は単純なお笑い喜劇なので問題なし。題名からして混乱している。「Die verstellte Gaertnerin aus Liebe 愛ゆえに偽装した女庭師」が二通りに短縮されて、「偽の女庭師」と「愛の女庭師」の両方が使われている。台本作者も不明。でもオペラは当時大好評だった。

まったくの笑劇仕立てで、筋は田舎芝居のドタバタ劇なのに、音楽は絶品。アリアはたいしたことないが、重唱の美しさは筆舌に尽し難い。違う作品なのに「フィガロ」と似た印象を受けるのはなぜだろう。ヒロインのサンドリーヌ(公爵令嬢だが、庭師に変装して恋人に再会を策す)が、スザンナを髣髴とさせることと、第二幕フィナーレが、フィガロ第四幕と同じく恋人同士入り乱れる笑劇だからだろう。召使の娘たちの生き生きした様子も似ている。

どうしようもない田舎芝居のようで、そうでないのかもしれない。ほぼ全員が軽いノリのお笑いキャラなのに、ヒロインのサンドリーヌだけは純愛をつらぬき、恋人の謝罪も突っぱね続けてみせるのが、とても切ない。喜劇とは異質な何かを感じさせる。ここぞというベタベタシーンで、音楽は澄み切って澄み切って、天上的になる。要するにこれなんだ、モツァルトは! 「フィガロ」はボーマルシェの傑作ゆえに、あのオペラが出来た。だが「愛の女庭師」は、台本が下手なメロドラマであればあるほど、情念を一気に天国へと浄化するモツァルトの魔法が、それだけいっそう冴えるのかもしれない。

ところで、新国立劇場のような大きなホールが地震で大音響を立てるとは知らなかった。地鳴りというか、地下鉄の轟音のようでびっくり。歌もオケも一糸乱れず地震を無視したのは立派。