『思想史の中の臨床心理学』(3)

[読書]  實川幹朗『思想史のなかの臨床心理学』(2004,10月 講談社)


第三章 「意識の国」の臨床心理学


(1) 19世紀半ばに生じた「意識革命」は、コントやミルの実証主義から、ヘルムホルツ、マッハなどにおける物理学の基礎としての感覚心理学、そして、ブレンターノ、フッサール現象学ラッセル、カルナップらの論理実証主義へと連なる。そこでは、「感覚と対になった意識」は、絶対に確実な所与であると同時に、物質界と精神界の双方の基礎にある「究極の事実」になる。一切のものは、たとえ間接的な過程を介してであれ、最終的には、「自己の意識に直接現前する」ものと関連付けられる(放射能は見えないが、ガイガーカウンターの音として聞こえる)。人間の身体や心の機能を含む一切の存在は、最後には、このような最終審としての「人間の意識」に繋げられうる。つまり、人間の意識は、自分を含む宇宙の森羅万象と対峙しうるのである。


(2) 精神分析は、このような「全能の意識」という原理を背景に成立した。我々の通常の経験では、心の機能の不調和は、行動や他者との関係に齟齬をきたすという眼に見える形で、「病」という結果が意識される。しかしフロイトは、「病」を生み出す原因が「無意識」にとどまっていることが「病」そのものを作り出しているのだから、その「無意識」を意識にもたらすことが治療になると考えた。たとえば「超自我」による抑圧の仕組みを繰り返し意識にもたらすことによって、行き過ぎた抑圧を解除できる、と。薬物、電気、メスなどによって肉体に手を加えるのではなく、言葉による対話によって、患者の無意識を意識に転化させ、「病」を治すのである。これは非常に魅力的な構想であり、多くの人々の心を捉えた。精神分析から臨床心理学への発展の歴史がそれを示している。フロイトユングは科学者としての強い自負心をもち、「心の科学」を構想した。このような「心の科学」の構想には、意識や心の自立性についての深い信頼が必要であり、「意識革命」を背景としてしか生まれなかったものである。


(3) だが、問題はここから始まる。心の機能の多くは、かつてはあえて「無意識」などと名前を付けられなかったが、実際は、意識されずに遂行される複雑で高度な営みとして理解されていた。しかし、意識が突出したので、それとの対概念として、新たに「無意識」の広大な領野が「発明」されてしまった。この「無意識」は、当人にとって今は無意識でも、何らかの手段の開発により、原理的には「当人の意識にもたらされうる」ものとされた。最初から最後まで、絶対に誰の意識にももたらされる可能性がないものは、不可知なものではあっても、「無意識」ではない。患者にとっては「抑圧」は無意識でも、精神分析医にはそのようなものとして意識されている。「意識−無意識」という対概念は、よく考えてみると、非常に奇妙なのである。


(4) フロイトは、「言語表象」を持つかどうかが、意識と無意識を区別するものと考えた。意識には言葉が組み込まれているが、無意識は事物の表象しかもたないという(p162)。つまり、言葉にできるかどうかが、意識化の基準なのである。だから、精神分析は、医師と患者との間の言葉の対話により「物語」を共に作ってゆくことが、治療になる。ここでは、「意識−無意識」の非対称性が、医師と患者の非対称性であり、言語的対話によって、その非対称性が次第に解消していくのが治療であると考えられている。


[評者の問い] このような構図では、初めから「病」にならない正常な人と「病」になった人とでは、意識と無意識の在り方はどのように違うのか。正常な人は精神分析を受けていないのだから、「超自我による抑圧」という「事実」も知らず、意識にもたらされもしない。正常な人は、死ぬまで一度もこうしたことを意識しないとすると、それは、「病」の人の無意識が意識化されて治療されることとどのような関係にあるのか。


實川氏は、「ところが意識革命によって、言葉と論理の中心部分が意識の中に組み入れられてしまった。したがってその後では、無意識はもう言葉と論理が使えず、意識を裁くことができなくなった」(p166)と述べている。これは臨床心理学の問題点の核心であり、意識や意識化の「言葉」は、「病」の人にのみ必要なものであり、正常な人には不要であることになろう。逆の視点に立って、無意識を表現する言葉や論理が「意識を裁く」という局面は排除されることになるが、正常な人も含めて、それでよいのかどうか。