二期会『魔笛』

[オペラ] 3.5夜の部  「魔笛」   新国立


演出は「ウルトラマン」の実相寺昭雄。旋律をもつ歌はすべてドイツ語で歌い字幕表示、語りだけの部分は日本語。『魔笛』は語りの「地の部分」が多いので、このやり方は成功している。パパゲーノが僧や老婆と交わす「痴話」が生彩に富むからだ。たとえば、第二幕の試練の場面、(僧)「ではお前も"叡智の愛"を戦い取るのか?」に対して、(パ)「エイチはいらない、でも女の子とエッチしたいよ」。原文は、僧の"Weisheitsliebe"を、パパゲーノが"Weisheit"と"Weibchen"に分けて答えているから、なかなか旨い翻案だ。こうした軽妙な言葉遊びは字幕ではなく、生身の会話でこそ生きるから、日本語でしかできない。


衣装を漫画家が担当したのも面白い。別人だが宮崎駿と似ている。第一幕冒頭の大蛇が蒸気機関車なのは『トトロ』の猫バスの雰囲気だし、夜の女王は『ナウシカ』のクシャナそっくり。パパゲーノの野暮ったい宇宙服も、三人の童子やパパゲーナをアニメ風美少女にしたのも、要するにすべての人物がアニメのキャラクターなのだ。なるほど『魔笛』はファンタジーなのだから。


今回気が付いたのは、パミーナとパパゲーノこそが本当の恋の主人公だということ。名前の「パ」が共通するだけではない。第一幕で、最も美しいデュエット「愛を感じる男のひとたちには」を二人が歌うだけでもない。いったんは自殺を試みて、そこから生に帰還するのはこの二人だけだというのが最大の理由。第二幕、第26,27場、自殺しようとするパミーナが三童子と歌い合う重唱の何という清浄な美しさ! ここは、最後にパパゲーノが三童子によって自殺を思いとどまり、そこから「パ、パ、パ」と移行するあのシーンと双璧をなすわけだ。パミーナとパパゲーノがともに三童子によって救われるのが重要。神ではなく天使による救済。


「野蛮人」モノスタトスが表現する性衝動のエネルギーは、パパゲーノにも分有されている。パパゲーノと老婆(=パパゲーナ)との性愛的水準の感情が、モーツァルトの音楽によって、ハイデガー的な「死への先駆的決意性」と融合する。自殺からの帰還という試練を経なければ愛は実現しない。その意味でのパミーナのパートナーは、タミーノではなくパパゲーノなのだ。性を愛に浄化する媒介としての天使が二人の共通項。個体の死と生殖=性とはコインの表裏だから、まさに天使という美の媒介が浄化に不可欠なのだろう。グロッケンシュピールの代わりにチェレスタを使ったようだが、音があまり澄んでいなかった。歌手はパミーナ(井上ゆかり)が良かった。