黒テント『ロベルト・ズッコ』

[演劇]  コルテス『ロベルト・ズッコ』  黒テント公演  神楽坂theatre iwato


エイズで夭折したフランスの劇作家、ベルナール=マリ・コルテス(1948-89)の遺作(88年)。神楽坂へ移転した黒テントの新劇場こけら落とし公演。演出は佐藤信。非常に洗練されたスタイリッシュな舞台で、この何年間かに観た黒テント公演の中で、もっとも気に入った。


ロベルト・ズッコは、両親をはじめ無差別殺人事件を起こした実在の青年の名。刑務所を巧みに脱獄して「動機なき?」殺人をする青年ロベルト。寡黙で、痩せて引き締まった美形の青年だ。澄んだ眼が美しい。彼は、ひたすら「透明でありたい」というサルトルの「対自存在」のようなオブセッションに取り付かれている。そのロベルトが脱獄時に暴行した少女は、姉と兄がこれまで妹の純潔を守るためにずっと監視してきた奇妙な家庭の娘だった。姉と兄は、これまでの労苦が水泡に帰し、絶望する。しかも悪いことに、妹はロベルトを好きになってしまい、ロベルトを追い求める。


「透明でありたい」というロベルトの「狂気」は、妹の「純潔」を守るためにだけ存在する「家庭」の病理と対をなしている。殺人という犯罪を通して、「家庭」のもつ深い闇が浮き彫りになる。パリの公園で、ロベルトに人質にされる上流階級の女性とその息子との関係も病的な「強い絆」を思わせる。登場人物はみな硬質でややメタフォリカルな科白を語るが、主題がフロイト的であるにもかかわらず、精神分析的な「解説」に堕さないところがよい。


全体にとても「乾いた」印象を受けるが、科白の語り方に工夫と苦労があるのだと思う。抑揚をほとんどなくして、感情を込めない中立的なしゃべり方(特にロベルト)が成功している。ドロドロの内容が「さっぱりした」感じで表現されるところが名作なのだろう。ロベルト役の足立昌弥が、清潔感があって良かった。映像の使い方も上手い。小劇場のコンクリート打ち放しの壁に、小型で高性能のプロジェクターでこんな美的な投影ができるとは、技術も進んだものだ。テンションの高いまま、疾走するような舞台の流れは見事。「不条理」劇も二十世紀末になると、あまり「不条理」と感じなくなるのはなぜだろう。なぜか我々は、不思議な快さのあるこの劇に大いに納得してしまうのではないか。「後味の良い」不条理劇とは何なのだろう。