[演劇] 5.15 エウリピデス『メディア』 蜷川幸雄演出 コクーン
主演のメデイアは大竹しのぶ。数年前のギリシア国立劇場の東京公演の際、蜷川は「自分がやった方がうまい上演ができる。子供は人形ではなく本物を使うべきだ」という批評を書いた。だが、ギリシア国立劇場やクナウカの公演と比べると、今回の蜷川メデイアはあまり評価できない。その理由は、メデイアがなりふりかまわず叫び、泣き、ものを投げつけ、じたばたするからだ。メデイアは神の孫娘であり王女であろう。なぜもっと風格ある振る舞いをさせないのか。夫に捨てられた深い悲しみや怒りの感情を、深く昇華した形で表現すべきだと思う。
ギリシア国立劇場の「メデイア」は、舞台の上にさらに重ねて木の舞台を組んだ。メデイアが能の役者のように床を強く踏み鳴らすと、鋭く乾いた木の音が響く。この音で、彼女の深い怒りと悲しみが伝わってきた。彼女は、大いに苦悩の表情は見せるが、泣き叫んでじたばたすることなく、決然と復讐に向かってテンションを高めてゆく凄みがあった。それに対して今回は、大竹しのぶが突然大声で怒鳴るので、むしろ「おかしみ」を感じる。大声で怒鳴りちらせば、深い怒りのテンションはむしろ下がるのだ。
エウリピデスの戯曲を読み返すと、科白がかなり説明的だ。現代のフェミニズムの問題意識に通じる科白も多い。そのような現代性があればこそ、普通にやったのでは、新劇風のメロドラマになってしまう危険性がある。だからこそ、どの演出も「様式化」に苦労してきた。演出ノートに蜷川は、「今までは、削ぎ落として削ぎ落として、シンプルにやってきたが、・・・今回はそれをやめた」と書いている。ここに問題があるのではないか。じたばたメロドラマを見せられた気分だ。コロスの女たちが全員赤ん坊の人形をを背負って走り回るのも鬱陶しい。