新訳『ロミオとジュリエット』(1)

charis2005-08-15

[読書] 河合祥一郎訳『ロミオとジュリエット』(角川文庫 ’05.6)


ハムレット』に次いで、河合氏の新訳が出た。『ハムレット』は、切れのいい狂言の科白を意識した名訳だった。『ロミ・ジュリ』は、科白の詩の形態の違いが重視されている。一箇所抽出してみよう(写真は、1960年、Old Vick座、ジュリエットを演じるジュディ・デンチ)。第一幕第5場、ジュリエットに一目ぼれしたロミオが、彼女に声を掛けてからファーストキスまでわずか30秒くらい? なぜそんなことができるのだろう。河合氏の脚注によれば、ロミオの第一声から科白はソネット形式に移行し、ソネットが完成した瞬間に彼はジュリエットの唇を奪う。そうだったのか。まるでモーツァルトの旋律の転調のように、一瞬にして相思相愛が成就するのだ。ジュリエットの夢のように美しい科白、「And palm to palm is holy palmers’kiss こうして掌(たなごころ)を合わせ、心を合わせるのが聖なる巡礼の口づけです」は、「手palm」から「唇kiss」へ一挙に飛ぶ魔法の言葉だが、なるほどこの一行は、ソネットのぴったり中央にある。巡礼者に化けたロミオは、ジュリエットの手を乱暴に取り、「ごめん、手を慰めるために、手に口付けを」とせがむ。それを受けるジュリエットの科白、


Good pilgrim, you do wrong your hand too much,
Which mannerly devotion shows in this,
For saints have hands that pilgrims’ hands do touch,
And palm to palm is holy palmers’ kiss.


巡礼様、その手にあまり、ひどすぎるお仕打ち、
このように 礼儀正しい 信心ぶりですのに。
聖者の手は 巡礼の手が ふれるためのもの、
指ふれるは 巡礼の優美な 口づけと申します。(小田島雄志訳)


巡礼様、そうおっしゃってはあなたの手がかわいそう。
こんなにも礼儀正しく帰依する心を示しているのに。
聖者の手は巡礼の手が触れるためにある。
手の平の触れ合いは、巡礼たちの口づけ。(松岡和子訳)


巡礼さん、それではお手がかわいそう。
こうしてきちんと信心深さを示しているのに。
聖者にも手があって、巡礼の手と触れ合います。
こうして掌(たなごころ)を合わせ、心を合わせるのが聖なる巡礼の口づけです。
                        (河合祥一郎訳)


いずれ劣らぬ名訳だが、河合訳はとても口語的で、14歳直前の少女らしい優しさと品位の良さが感じられる。ロミオの下心を一見とがめているようで、このジュリエットの言葉は、相思相愛を一瞬のうちに引き寄せる無意識の「運命の言葉」なのだ。だからこそ、かくも美しいのだろう。原作の脚韻を「こうして」「こうして」と頭韻に変えたり、「聖者にも手」「巡礼の手」や「合わせ」「合わせる」など、響きを作る工夫がなされている。