小林よしのり『靖国論』(5)

charis2005-09-14

[読書] 小林よしのり靖国論』(幻冬舎 05.8.1)


昨日に引き続き、仏教は死者の霊魂を認めないことを再論する。小林氏は、「我々日本人は、神と共に生き、死者の霊魂と同じ空間に存在している」(p42)と、こともなげに述べているが、そんな簡単な話ではない。たしかに人類は、その歴史の長期にわたってアニミズムの世界観の内にあった。しかし、教義を備えた宗教の成立とともに、自然発生的なアニミズムから次第に脱却したのであり、「霊魂」観はきわめて多様になった。神道にはたしかにアニミズムの痕跡が残っているが、小林氏は、宗教が一方ではアニミズムと対立しながら成立したことを見落としている。これでは、近代社会における宗教の正しい位置づけも、政教分離という近代社会の基本原則も理解できない。(写真は、フェルディナンデス書簡写本。日本語の堪能なフェルディナンデスは、ザビエルやトレスの通訳として来日し、「山口の討論」の通訳を務め、それを記録してイエズス会に送った。)


仏教は、その教えの核心において、肉体とは独立に存在する霊魂の存在を認めない。そのことは、戦国時代に日本に来たイエズス会士たちが、きわめて印象深く記している。ザビエルとともに来日した神父トレスは、1551年8月13日頃から10日間ほど、山口において日本の僧侶たちと神学論争を行った。「山口の討論」と呼ばれる水準の高い議論である。以下に、トレスの書簡と、フェルディナンデスの書簡から再構成された論争を、紹介しよう。(2)で「ぼんず」と彼らが書いているのが、「坊主」すなわち仏教の僧侶である。引用はすべて、シュールハマー著、神尾庄治訳『山口の討論』(1964、新生社刊)より。


(1) 「また禅宗といわれている他の派があります。これにも二種類あります。その一派の人たちは言います。霊魂は存在しない。もし人が死滅すれば、一切が死滅すると。なぜなら、彼らの言によると、無から作られたものは無に帰すべきであるからと。彼らは非常に瞑想的な人たちであります。そして彼らにデウスの教えを理解させることは困難であります。論破するには大変な努力を要します。」(トレスの第一書簡、前掲書p92)


(2) 「ぼんず: ヨーロッパの大先生よ。私どもの知りたいことは、人間の肉体が元素のはななだ粗悪な成分から成っているのと同じく、智慧のアニマ[=霊魂]も元素のきわめて繊細・微妙な成分からの組成であるかどうかということでござる。
イエズス会士トレス: ・・・アニマは霊的かつ不可分であり、部分をもたず、たとえば清純そのもの空気より、なお一層繊細なものでござろう。
ぼんず: 智慧と霊とを備えたアニマは死ぬことがないということを証せられるために、貴殿の行われたこの理知に富んだご議論の中には、アニマの不滅ということが、始めから仮定されてはおじゃらぬか。これは日本の学者間で種々議論され、疑わしいとされているところでござって、人はこれを仮定する前に、むしろ証明しなければなるまいものでござろう。この仮定に誤りがござれば、貴殿の百説もみな空言となり申そう。・・・
わが国語でこん<魂>と呼ぶ形相は、人間の死後には活動を止め、壊滅し申す。人の命の原始・源泉であるこの魂が、終了・消滅すること以外には、他に死の原因となるものは人間の場合にはござらぬ。」(フェルディナンデス書簡より引用された、イエズス会士デ・スーザの著作の記述。前掲書p69f.)