上毛新聞に書いたコラム(5)

charis2005-09-15

[上毛新聞コラム]  「視点」  9月10日掲載


先祖帰りしたおとぎ話 ― 歌舞伎版『十二夜』   植村恒一郎


(新聞にはないが、写真は、公演パンフより。男装したヴァイオラとオリヴィア姫。)


 東京・歌舞伎座の「七月大歌舞伎」は、何とシェークスピアの『十二夜』だった。一ヶ月通しで43回上演という本格版だ。芝居好きの学生二人と観劇したが、シェークスピアと歌舞伎という「異文化融合」の面白さを堪能した。舞台は、正面と側面の壁がすべて鏡になっている。観客席の全体が舞台の向う側に映し出される。花道や客席の赤い提灯が浮かび上がり、役者の後姿も映るので、とても幻想的で美しい。

 歌舞伎とシェークスピアは、実は相性が良い。シェークスピア日本初演は明治十八年。『ベニスの商人』が『何桜彼桜銭世中(さくらどきぜにのよのなか)』と題して、歌舞伎風に上演された。シェークスピア作品には、歌舞伎とテーマが似ている作品が幾つもある。たとえば『ベニスの商人』は「大岡裁き」、『ロミオとジュリエット』は「心中もの」、『ハムレット』は「あだ討ちもの」という具合である。

 ところが『十二夜』は、少し勝手が違う。「ロマンチック・コメディー」という重要なジャンルを生み出した名作だが、日本には類似の文芸ジャンルが存在しなかった。日本語訳も他のシェークスピア作品に比べて遅かった。『十二夜』は、瓜二つの双子の兄と妹が繰り広げる恋愛喜劇で、妹が男装して少年に化けたところ、別のお姫様が男と勘違いして彼女に熱烈な恋をする。そこへ瓜二つの兄が現れるが、それをまた妹である少年と勘違いしたお姫様は、彼と結婚してハッピーというおとぎ話。

要するに、少女漫画風の物語なのだ。若い女性が男装する「トランス・ジェンダー」物語はシェークスピアに幾つもあり、モーツァルトのオペラ『フィガロの結婚』などに受け継がれている。日本で『十二夜』と様式が近いのは、宝塚歌劇であろう。

 さて、それを歌舞伎でやれば、どうなるか。双子の妹ヴァイオラは「琵琶姫(びわひめ)」、彼女に恋をするお姫様オリヴィアは「織笛姫(おりぶえひめ)」と、名前も和風だ。琵琶姫と、彼女の双子の兄セバスチャン(和風名「斯波主膳之助」(しばしゅぜんのすけ))の二役を演じるのが、27歳の尾上菊之助女形と男役が目まぐるしく切り替わって、息を呑むような美しさだ。

もともとシェークスピア劇では、女優が禁じられていたので、少年俳優が女性を演じた。現代の上演では女優が演じるので、この菊之助の琵琶姫は、シェークスピアに先祖帰りしたともいえる。

 歌舞伎の女形は芸が深く、ある意味では「巧すぎる」ので、女性を演じると「しっとりした大人の女」になりがちだ。原作では、オリヴィア姫は、すぐ舞い上がってしまうピチピチした少女というキャラなのだが、中村時蔵の演じる織笛姫は、貫禄たっぷりの「お妃様」という感じになった。

十二夜』は少女歌劇風のおとぎ話なのに、その科白の詩的な美しさはシェークスピア劇中随一といわれる。今回、歌舞伎用の脚本は7回も書き直されたそうだ。ともに四百年の歴史をもつ歌舞伎とシェークスピアの交流は、本当に素晴らしい。