小林よしのり『靖国論』(8)

charis2005-09-20

[読書] 小林よしのり靖国論』(幻冬舎 05.8.1)


(写真は、1945年9月21日、軽井沢。米兵にチョコレートをねだる日本の子供たちと、見つめる大人たちの笑顔。玉音放送から僅か1ヶ月後の光景だ。)


小林氏は、東京裁判を激しく批判し、「勝者の敗者に対する復讐であり、野蛮な見せしめの私刑である東京裁判」そのものを、日本人はきっぱりと否定しなければならないと説く(p180f.)。また、それとは別の箇所であるが、「アメリカと戦った」特攻隊員の遺書を引用して、戦後の日本人が「親米」になったことは、死んだ特攻隊員への裏切りであると慨嘆する。「ところが、戦争中の苦労から解放された[敗戦後の]日本人のほとんどは、考えを一変させてしまった。マッカーサ様ありがとう。アメリカは素晴らしい国だ。おお、民主主義をありがとう。平和憲法ありがとう」云々(p70)。「アメリカは友人・・、なんという変節だろう」(p72)。ここで小林氏が反発している歴史の二つの要素、すなわち、(1)東京裁判と、(2)戦後日本のアメリカ的価値の受容とは、実は深く連関している。東京裁判をどう見るかという問題は、結局、戦後の日本人自身がどのような価値を良しとしたのかに掛かっている。小林氏の東京裁判全否定の誤りを、このような視点から考えてみたい。


小林氏は、「光輝ある帝国の歴史を米兵の足下に踏みにじられては、がまんがなりません」(p72)、「自分等も鉄血勤皇隊として軍服姿に身を固め、英米撃滅に邁進したのであります」(p154)という、特攻隊員の遺書を引用する。この遺書を書いた特攻隊員に対して、降伏後すぐ「親米」になったことは、彼らへの裏切りになるのだろうか。「そうだ」という一貫した立場もありえよう。小林氏は、戦後の日本人の「親米」は、GHQによる言論統制による「洗脳」の結果とみなしている(p69)。だが、小林氏の大きな錯覚の一つはここにある。戦後の日本人が、女性参政権を含む日本国憲法や農地改革など、アメリカに「押し付けられた」占領政策を全体として好意的に受け入れたという事実は動かしがたい。そもそも、戦争以前の日本が反米だったわけではないのである。例えば野球の歴史を見ても、日本人初の野球チームは明治11年に結成されているし、明治41年にはアメリカのプロ野球球団が来日して試合をしている。アメリカ映画も戦後は大人気で上映されており、昭和22年3月にはアメリカ映画専門の有楽町スバル座も開館している。


戦後の日本が基本的にアメリカ的な価値観を受け入れたことは、韓国や冷戦後の中国などアジア諸国も同様な経過を辿ったことから分るように、大きな歴史的必然性があり、GHQの「洗脳」によるものではない。そして、このことは、東京裁判の位置づけにも関係している。ニュルンベルグ裁判も東京裁判も、たしかに「戦勝国による裁き」であった。では、勝者による敗者の裁きは、「勝てば官軍」という言葉があるように、まったく正義とは無縁の不当なものでしかないのだろうか。もちろん、正義にもとる不当な「勝者の裁き」の事例はいくらでもある。だが、「勝者の裁き」が不当なものにならない可能性もある。それは、その後のかなり長い歴史のスパンにおいて、敗者の側が勝者の側の価値観を本質的に肯定し、受容した場合である。つまり、「裁き」の時点では、勝者と敗者という圧倒的な非対称性は厳然たる事実であるが、裁きの内実が「不当」であるか否かは、その時点では本質的にまだ決まっておらず、その後の敗者と勝者の双方の歴史によって初めて決まるのである。


たとえば、第一次大戦の戦後処理であるベルサイユ条約は、ドイツに復讐感情をもたらして、第二次大戦の理由の一つになったわけだから、それを「正当な裁き」であるとは見なせない。つまり、敗者の側のその後の歴史によって、勝者の裁きが不当になったりそうでなかったりするのである。ニュルンベルグ裁判や東京裁判は、「人道への罪」というそれ以前に無かった「新しい罪」を作って、戦争責任者を裁いた。これは「事後法」による裁きであり、不当なものだという批判がある。また、東京裁判が非常に多くの欠陥を持つものであったことは明らかである。にもかかわらず、その正当性や不当性という全体的評価は、それだけからは決められない。ドイツや日本という敗戦国が、その後の長い歴史をどのように生成したかということが、それを決めるもっとも大きな要因だからである。


ここには、前回、慰霊の問題で述べたように、「過去へ時間を遡って意味が定まる」という、歴史に本質的に伴うパラドックスがある。人間の引き起こす事象は、それが「何であるか」ということが、その時点で完全に決まっているわけではない。当事者たちにとって、自分たちの行為が何であるのかは、その時点で完全に透明であることは普通ない。その行為の意味は、その行為の後に我々がどのように生きたかによって少しずつ定まるのである。連合国による国際軍事裁判の意味を、この観点からさらに考えてみたい。