小林よしのり『靖国論』(9)

charis2005-09-21

[読書] 小林よしのり靖国論』(幻冬舎 05.8.1)


(写真は、1945年10月7日、日本人に混じって銀座4丁目・三越銀座店前を散歩する米兵たち。丸腰で、くつろいだポーズ。特攻隊員の死からいくらもたっていない頃。)


昨日に続き、東京裁判について考える。勝者の裁きであったにもかかわらず、それだけでは裁きの内容が不当であるとは言えない。その後の敗者と勝者の関係の歴史が、それが不当か否かを決める。歴史は、たえず未来から時間的に遡行されることによって創られる。第一次大戦後のドイツのように、日本が戦後のしかるべき時期に再びアメリカと対決する道を取っていれば(新憲法を廃棄して帝国憲法に復帰等)、東京裁判の位置づけも違ったであろう。だが、そうはならず、日本はアメリカを含む西洋的価値観の受容を一層進めて、戦後の60年が経過した。日本人自身が、日本的なものと西洋的なものの新たな文化的総合を喜び、その方向で自己形成をしたと考えられる。


小林氏には、<数百年にわたる白人のアジア侵略と今も戦っている日本>という歴史観がある。『靖国論』においても、「かつての戦勝国が・・・、日本独自の文化・伝統を崩壊させていく、アイデンティティ・ウォー」が21世紀の今も続いており、「我々日本人は今領土ではなく、アイデンティティを侵略されている」(p178-9)という認識がある。だが、これは倒錯した歴史観である。日本に限らず他のアジア諸国においても、伝統的な価値観と西洋的な価値観との総合が進展している。小林氏のように白人とアジア人を根底から対立させる世界観では、何よりも我々日本人自身が幸福になれない。漢字(中国文字)の使用はもとより、外来文化を摂取・総合するところに日本人のアイデンティティがあり、西洋的価値は、すでに我々自身のアイデンティティの不可欠の一部になっている。民主主義、自由、人権といった西洋起源の諸価値も、長い時間をかけた摂取と総合の試みが今も継続している。このような歴史観に立つとき、東京裁判の意味を我々は積極的に捉え返すことができる。


極東軍事裁判東京裁判)の元になった、連合国の国際軍事裁判所憲章(いわゆるニュルンベルグ憲章)は、1945年8月8日に調印された。ここで、「A級=平和に対する罪」、「B級=通例の戦争犯罪(戦争の法規または慣例の違反)」「C級=人道に対する罪」の三つが定式化された。日本でも言われる「A級戦犯」「BC級戦犯」という言葉のA、B、Cという分類は、これに基づいている。A級は格が高くて、BC級は下級であるというわけではなく、罪の種類が異なるのである。この中では、「C級=人道に対する罪」という概念が、実は、従来の戦時国際法の枠を超える新しいものであった。が、東京裁判ではC級が実際には不適用であったために、国際軍事裁判の新しい側面が日本では十分に理解されなかった。たとえば関東軍731部隊における捕虜の人体実験などは、C級に該当する可能性があるが、日本では追訴自体がなされなかった。こうした「戦争犯罪」を裁く新しい概念が「事後法」(たしかに1945年8月は終戦後だ)であり、「不当」なものであるか否かは、それらの概念が、その後の歴史でどのように継承され生かされたかを考慮しなければならない。これは次回にするが、以下にニュルベルグ憲章の第6条を引用しておく。(a)(b)(c)という見出しに注意。

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(a)平和に対する罪。 すなわち、侵略戦争もしくは国際条約、協定もしくは誓約に違反する戦争の計画、準備、開始もしくは遂行、叉はこれらの各行為のいずれかの達成を目的とする共通の計画もしくは共同謀議への参加
(b)戦争犯罪。 すなわち、戦争の法規叉は慣例の違反。この違反は、占領地所属もしくは占領地内の民間人の殺害、虐待、もしくは奴隷労働もしくはその他の目的のための追放、俘虜もしくは海上における人民の殺害もしくは虐待、人質の殺害、公私の財産の掠奪、都市町村の恣意的な破壊又は軍事的必要により正当化されない荒廃化を包含する。ただし、これらに限定されない。
(c)人道に対する罪。 すなわち、戦前もしくは戦時中にすべての民間人に対して行なわれた殺人、殲滅、奴隷化、追放及びその他の非人道的行為、叉は犯行地の国内法の違反であると否とを問わず、本裁判所の管轄に属する犯罪の遂行として、もしくはこれに関連して行なわれた政治的、人種的もしくは宗教的理由に基づく迫害行為。

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