[演劇] シェイクスピア・シアター公演『十二夜』 出口典雄演出 俳優座劇場
[挿絵は、カナダの絵本『十二夜』。8歳の女の子が描いた絵。オリヴィアを中心に、片思いの三角形が良く分る。ヴァイオラ(セザーリオ)は右下。Twelfth Night for Kids, 1994 より。今回の公演とは無関係]
どうしても見たかった『十二夜』だ。同じ出口典雄演出で、1975年に渋谷ジァンジァンで上演された『十二夜』は、舞台装置なし、ジーパンTシャツの衣装ながら、新たに登場した小田島雄志訳による、新鮮で熱気あふれる舞台だったといわれる。当時学生だった私は、ジァンジァンには何度か行ったのに、それを見そびれたのは残念。これまで福田訳、三神訳、小田島訳、松岡訳と、『十二夜』上演はずいぶん見てきたが、この出口演出は、小田島訳の魅力がよく分る上演だ。
今日の舞台も、あるのは舞台の中央に置かれた椅子一つだけ。あとは役者の動きと表情と音楽だけで『十二夜』ができるのだ。ジァンジァンのような、どうしようもなく小さいアングラで、伝説的な『十二夜』が生まれたのは、小田島訳に溢れる言葉遊びに対して、はじけるような体の動作を振り付けたからだと思う。あの駄洒落っぽい言葉遊びは、突っ立ったまま喋ったのでは、かえって白ける。身振りが一緒に遊んでこそ生きるのだ。
衣装は、黒のスーツで統一。男装するヴァイオラも、黒のパンツスーツに黒のブーツ、そして黒い帽子。オリヴィアも黒ずくめのロングスカート。ココ・シャネルの発明といわれるが、黒い服のスタイリッシュな美しさは格別だ。今回の上演は、俳優の出来不出来が激しい。オーシーノとアントニオが、科白ほとんど棒読みはいただけない。だが、副筋の笑劇を構成する、マルヴォーリオ、トービー、マライアのラインは実に生彩に富んでいる。とくにトービー(松本洋平)が旨い。オリヴィア(甲斐田裕子)は笑顔のとても美しい美女で、どうしても彼女に目が行ってしまう。でも、その分ヴァイオラが霞んでしまうのは残念。日本で上演されるどの『十二夜』も、オリヴィアはたいてい颯爽とした美女だが、女性性を押し出せば役が自然に出来てしまうのかもしれない。
それに対して、ヴァイオラはずっと難役だ。男装してなお美しい女性というのは、宝塚風に様式化するならば別だが、ミニマリズムの方向に演劇を純化する中で実現するのはとても難しいと思う。日本語上演の大部分が、副筋の笑劇的要素を前景に出すことも、なかなか満足のいくヴァイオラが見られない理由だと思う。でも今回、最後にヴァイオラが兄セバスチャンと再会するシーンは、とても美しかった。「お兄様、私を抱くのは少し待って。まもなく時と所と運命が、声を一つにして叫ぶでしょう。そうよ、私がヴァイオラよ、と。」演出家の鵜山仁氏は、ジァンジァン版か文学座版かは忘れたが、出口演出の舞台のこの科白に感動して演出家になる決心をしたと確か書いていたような記憶がある。