[読書] 福井健策 『著作権とは何か ――文化と創造のゆくえ』(集英社新書、05年5月)
(挿絵は、イギリスのアン女王(1665-1714)。著作権が最初に認められたのは「アン女王法」といわれる。p113)
小冊子ながら優れた本だ。本書は、著作権法の条文の解説ではなく、そもそも「著作権」とは何なのかを、創作や表現という人間の行為の本質に照らしつつ論じている。私は昔、実朝の『金塊和歌集』を読んだとき、最初の方の歌は「本歌取り」というよりも、ほとんど盗作ではないかと思ったことがある。当時、模倣は悪いことではなかったのだ。本書は興味深い実例に満ちている。シェイクスピア『ロミオとジュリエット』は、ほぼ完璧に種本のパクリだが、わずかの違いに素晴らしい独創が潜む。ディズニーのアニメ作品『ライオン・キング』は手塚治『ジャングル大帝』の盗作に見える。ジョージ・ハリソンの作曲は、原作を無意識に真似たらしい。マッド・アマノのスキーヤーを追う巨大タイヤ、小林亜星の『どこまでも行こう』盗作事件など。こうした多数の実例に即して、著者は、裁判の判決が二転三転した経過をたどり、オリジナル、模倣、盗作、引用、もじり、パロディなどの境界が実に危ういことを明らかにする。
たとえば、ディズニー側は『ライオン・キング』の原作は『バンビ』であり、日本の『ジャングル大帝』など知らなかったと説明した。一方、手塚治は『バンビ』が大好きで、生前80回以上も見たことが分っている。とすれば、『バンビ』→『ジャングル大帝』、『バンビ』→『ライオン・キング』という模倣の線なのだろうか。いや、『ジャングル大帝』執筆開始は、『バンビ』公開の僅かに前なのだ(p107)。創作とは、無意識の記憶も含めて何が素材になっているか、作者にも分らないほど不思議な過程だ。特に難しいのは、作曲におけるメロディの問題。心に浮かんだ良いメロディが自分のものなのか、どこかで聴いたのを思い出しているのか、作曲家にも分らないらしい。怪しそうなCDを片っ端から聴いてみるが、「元ネタ」が見つからなければ、少し怖いがそのメロディを使ってしまうという(p92)。
本書の、パロディをめぐる分析も秀逸だ。「原作に対する批評的距離」という規定から、アメリカ最高裁の「変容的transformative」という新概念成立までの議論は深みがある。「アイデア」は著作権がないが、「表現」にはあるという議論も、創造の本性について考えさせる。「オリジナリティ」という概念は絶対的なものではなく、「著作権」はあくまで壮大な社会的実験であり、それが文化創造に寄与するか否かはまだ未知、という著者の結論は説得的だ。