永井愛『歌わせたい男たち』

charis2005-10-31

[演劇] 永井愛 作・演出『歌わせたい男たち
  二兎社公演  ベニサン・ピット


永井愛は現代のアリストパネスだ。演劇の力と可能性をあらためて感じさせる傑作。彼女の作品は幾つも観たが、これは代表作の一つになるだろう。場面は東京のある都立高校。都教委による卒業式の「君が代」強制を、演劇という形式で真正面から批判したのだ。それも、斜に構えるのではなく、憲法の条文「第19条 思想および良心の自由は、これを侵してはならない」を根拠として、永井愛自身が全身全霊を込めて、都教委の強圧を批判する作品だ。だが、いわゆる政治劇にありがちな、重苦しい党派性や退屈なスローガンなどはみじんもなく、全編がお笑い一色の喜劇として、冒頭から最後まで、爆笑、また爆笑の連続。「喜劇」はこんな素晴らしい政治批判ができることを見せてくれた。


君が代」が国法によって「国歌」と規定されたことは事実だが、そのことは、「学校の卒業式や入学式において、このような仕方で君が代を歌わなければならない」と強制しているわけではない。ところが都教委は、卒業式の方式、式次第、「君が代」の歌い方などを細かく定めて、職務命令として高校に強制した。その結果、「現場」がどのように混乱するか、その「混乱の在り方」が極め付きの喜劇なのである。


物語は、たった一人の「君が代」を歌わない教師がいる都立高の卒業式の朝。普通なら生徒が駆け込んでくる保健室に、体の不調を訴える二人の教師が来る。昨年、不起立教員4人を出して、教委から睨まれている校長と、ミスタッチの不安で夜眠れなかった「君が代」伴奏を担当する新米の女性教員だ。この高校では、校長と教務主任が、教委の方針を貫徹すべく学内教員と生徒の思想動向をチェックし、卒業式に備えてきたのだが、当日たくさんのハプニングが起きてしまう。在日韓国人のある生徒は、担任の「歌わない教師」の処分を軽くするために、今年は昨年までの不起立を撤回して起立に変えたのだが、その代わりに、ヨンさま風の美形の彼は、教務主任が担任する他のクラスの女の子たちを誘惑して、不起立に誘導する。つまり、教委の走狗たる教務主任のクラスから、大量の不起立生徒が出てしまったのだ。


校長のハプニングはもっと劇的だ。彼は、十年以上前は、「内心の自由」を生徒に説く良心的教師であったが、当時の彼の書いた文章が、卒業式当日ビラになって播かれてしまう。衝撃を受けた校長は、校舎の屋上に駆け上り、日章旗を背景にヒトラーばりの身振りで大演説を行う。自分は以前とは考えを変えたが、「君が代」を歌うことは「外面的な身体行動」だから、「内心の自由」をいっさい侵さないと、大真面目で説教する。これは「君が代」法案が国会で審議された時の、「強制はしない」という官房長官答弁とも異なり、都教委の独断なのだが、現場の中間管理職が、あたかも自分の考えのように偉そうに説いてみせるところに、「喜劇」がもっとも先鋭に現れる。


教師たちの必死の行動と混乱は、教育を支える一番大切な何かが失われたことを白日の下に晒してしまう。これがこの劇の核心であり、人間の行動がこのように「喜劇的」にならざるをえないことが、我々の大いなる悲劇なのである。かつて多くの都立高校では、卒業生が在校生と向き合って座る、対面的・対話的で楽しい多様な卒業式がたくさんあった。それがすべて都教委の通達で、廃止を強制された。それによって教育の現場から失われたものがいかに大きいか、この「喜劇」は余すことなく語っている。

二兎社のこの公演HP↓
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