三笠宮発言に思う(続)

charis2005-11-08

[時事問題]  三笠宮寛仁親王の「旧宮家復帰」論


(写真は、山縣有朋1838-1922。明治・大正期の皇室の在り方に大きな影響を及ぼした。彼が「宮中某重大事件」(昭和天皇の婚約問題、1920)で政争に敗れ失脚したのは、象徴的な出来事といえる。側室を嫌った大正天皇から、皇室の実質的な変貌は始まっている)


11月7日の「朝日」”天皇制特集”は面白い。「神武以来」125代の歴代天皇のうち55人が「側室の子」とある。でも実在の天皇は15代応神天皇からと言われるから、それ以前は神話に属する。「側室の子」55人の内訳が「神話の天皇」をどの程度含むかは分らないが、仮に実在の天皇111人を分母とすれば、約半分の割合になる。「男系継承」がいかに「側室制度」と不即不離であったかが分る。「ともさんの独り言」の④「側室制度の復活」は失言でも何でもなく、まっとうな主張なのである。


しかし、「朝日」記事によれば、側室があっても親子や兄弟の継承だけでは足りず、「その他の継承」28例がある。遠縁からの継承もたくさんあり、いかに「男系継承」が困難であるかが分かる。皇位があまり遠くへ「飛ぶ」のでは、正当性が疑わしくなるからだ。それを考えると、「ともさん」の主張する、旧宮家の復帰も正当性は疑わしい。なぜかというと、現在の旧宮家はすべて伏見宮家の血筋で、現天皇と共通の先祖をたどると600年遡るという(600年ですよ、600年!)。愛子内親王からその「共通の先祖」まで遡って、また現代のその子孫の男の子まで辿り着くのに1200年かかるわけだ。「ともさん」、いや恐れ多くも、寛仁親王殿下、ちょっと遠すぎる親戚ではないでしょうか!


ネットで”尊王系”の掲示板やブログを見ると、有識者会議が「国賊」呼ばわりされている。有識者会議のメンバーには極左派はもちろん「サヨク」すらいないのに、「天皇制の廃止を画策する陰謀家たち」と非難されている。だが、中には面白い議論もある。その一つに、愛子内親王皇位継承者になると「配偶者は絶対にありえない」という主張がある。その理由は、女性天皇の夫の「称号」がないからだという。男性「天皇」に対しては「皇后」、「皇太子」に対しては「皇太子妃」という名称があり、民間から嫁いで苗字がなくなっても「美智子皇后」「雅子妃」と呼ばれる。だが、民間の男性が女性天皇と結婚して苗字がなくなったら、どうするのか! 名前に続けるべき称号がないではないか! だから女性天皇は不可能、というのが彼らの論理だ。ふーむ、なるほどね。でも、日本語は自在だから、誰か知恵者がうまい名前を考えますよ、きっと(^^;)。