ベトナム戦争・写真展

charis2006-02-10


[写真展]  「VIET★NAM」 東京都写真美術館(恵比寿)


(左の写真は、1967年ハノイ。射撃訓練をする女性自警団員。マイ・ナム撮影。右の写真は、1969年8月9日、サイゴン。急遽編成された、南ベトナム政府の女子民兵。梅津禎三(朝日新聞社)撮影。私はこの両方の写真に写っている女性たちと同年代。彼女たちは今どうしているのだろう?)


1954年のディエンビエンフー陥落から、1975年のサイゴン解放まで22年間の、ベトナムの兵士や民衆の写真を集めた。沢田教一石川文洋など、日本人写真家が米軍に従軍して「南側」から撮影した写真と、北ベトナム側で撮影された写真とが合わせて展示されている。たとえば、上掲写真の右と左がそれだ。現在のベトナムの立場からは、「一つの歴史」の光景であるが、当時はそれぞれが敵と味方に分かれて戦う、その表情であり光景であった。ここにこの写真展の特徴と価値がある。


北ベトナム撮影の写真には、笑顔が多い。当然そうだろう。アジアの貧しい小国が、世界最強の帝国アメリカと戦って撃退したのだ。北爆する多数の米軍機を、北ベトナムの対空砲火が撃ち落とし、ベトナム戦争の米兵死者は5万人を超えた。その意味では、「勝者の側の戦争写真」なのである。それに対して、「南側」の写真は悲惨なものばかりである。逞しい米兵が、小柄な南ベトナム解放戦線の(たぶん女性)兵士を「ひっとらえて」連行する写真。解放戦線容疑者の少年を公開処刑する光景。米軍の爆撃で泣き叫ぶ裸の子供たち。これらの写真は世界中に報道されて、ベトナム反戦運動を高揚させる結果となった。


北ベトナム側の写真は「戦意高揚写真」じゃないかという批判があるかもしれない。たしかにそういう面はあるだろう。だが、写真というものは、「当事者の意図」を超えて、ある種の真実を映し出すことがある。ベトナム戦争の場合はまさにそれだと思う。全体を見てつくづく感じるのは、この戦争にはアメリカに大義がなかったことである。北側の写真が「戦意高揚」になり、南側の写真が「反戦意識高揚」になったのは、ひとえにアメリカが侵略者だったからに尽きる。これはむずかしい理屈ではない。


抗米戦争に勝利した後の10年間は、カンボジアや中国との関係や「ボート・ピープル」など、ベトナムの「戦後」は決して平坦ではなかった。しかし1995年のアメリカとの国交回復後さらに10年たった今日からみると、ベトナムの歴史はやはりこれ以外にはなかったのではないかとも思う。アジアにおける民族解放闘争が、マルクス主義と結びついたのは、ある種の歴史的必然性があったといえる。帝国主義と真正面から戦う思想は、それしかなかったのだから。そしてマルクス主義は、歴史的にそれが果たした役割を終えたときに、退場することになるだろう。現在のベトナムや中国が、実質的に脱マルクス主義の道を歩んでいるのは自然なことだ。


展覧会には、最近写したカラー写真も数枚あった。サイゴンの昼下がりを行くおしゃれな女の子。メコン川を渡る船の、鈴なりの人々の笑顔。それらをじっと見ていると、ディエンビエンフー以来の「戦争写真」が、現在の光景とオーバーラップして溶け合う不思議な感覚を覚える。写真には、撮る者にも見る者にも属さない何かがあるようだ。

(以下で写真が幾つか見られる。↓)
http://www.asahi.com/event/TKY200601130158.html
http://www.syabi.com/top/top.html