コンヴィチュニー『魔笛』

charis2006-02-17

[オペラ] モーツァルト魔笛』 コンヴィチュニー演出、シュツットガルト歌劇場日本公演、渋谷オーチャドホール


(右の写真は、左手前に立つのがパパゲーノ。第2幕22,23場が「劇中劇」に改変され、観客を前に芸をするテレビ芸人になっている。左の写真は、第1幕冒頭の三人の侍女。スーツ姿。手に持つ赤い絨毯が大蛇。)


ドイツで人気の、コンヴィチュニー演出の新舞台。モーツァルトの音楽と歌を残して、それ以外の設定をすべて変えたらどうなるのか? 面白い実験だが、『魔笛』を初めての人には勧められない。時代は現代。人物は普通のネクタイ・スーツ姿。夜の女王はキャリアウーマンの親玉で、娘を奪われて酒びたりの毎日だ。パミーナも「清純な王女」とは正反対の濃いキャラ。黒っぽいジーンズに黒いノースリーブのシャツで、へそ出しルック。筋肉隆々の逞しいヤンキー娘か。下着姿も見せるし、カッとしてザラストロに殴りかかりもする。パパゲーノは頭の禿げた品のないオヤジで、鳥を商売にしているが、自分は鳥ではないし、鳥の格好もしていない。ザラストロは怪しげな新興宗教の教祖らしい。タミーノは線の細い普通の青年。三童子は二通り登場し、Tシャツ姿の悪ガキ風の男の子と、劇場の「掃除のお姉さん」。タミーノの笛は安っぽいおもちゃだし、グロッケン・シュピールもブリキの缶だ。


舞台は「何もない空間」で、椅子が散乱するだけ。最初に大蛇に使われた一枚の赤い絨毯が、最後までさまざまな小道具として活用される(ピーター・ブルック風?)。舞台上のスクリーンにヨーロッパ王室の結婚式やその他雑多な映像が映し出され、登場人物たちがそれを見るのも一種の劇中劇だ。夜の女王のアリアでは、歌う彼女の赤い口が生撮りでスクリーンに大写しされ、奥にある喉のヒコヒコがアップされるとそれが女性性器に変わり、釘付けになったタミーノが「これは本物?」と叫んで笑いを誘う。第2幕冒頭のザラストロの「神聖な託宣」は、韓国語で行われ(ザラストロ役のアッティラ・ユンは韓国人)、ドイツ語に通訳されるという国際会議風の設定。


こんなにビックリの舞台だが、ではオペラとしてダメかというと、そうではないところが『魔笛』の凄いところ。音楽と演技とが大きく乖離しているので、それが一種の「異化効果」となって、音楽が今までにない“相貌”を帯びる。猥雑な場面であればあるほど、澄み切った天国的な音楽が切実に感じられもする。奇を衒う演出のように見えるが、ツボを押さえた重要な解釈も見られる。それは、一貫してパパゲーノとパミーナを主人公にしていることだ。第1幕の救出劇の最初の出会いシーン、あの美しいデュエットで、もう二人はいちゃいちゃと抱き合っている。えっ、パミーナの婚約者はタミーノでしょう? でもこれが物語の本当の「筋」なのだと思う。


ラカン派の哲学者ドラーによれば(『オペラは二度死ぬ』)、『魔笛』の第1幕は『後宮からの誘拐』とほぼ同じで、王女の救出劇はもう実現したので、第2幕では別の物語を新規に作らねばならない。第2幕の「主体」はパミーナで、愛の試練においてはパミーナがタミーノを導く。『魔笛』も結局、「女がこの世に真理をもたらす」という物語なのだ。今回の舞台も、終幕のカーテンコールの順は、最後から、パパゲーノ、パミーナ、タミーノの順だ。これは正解だと思う。