田島正樹『読む哲学事典』(2)

charis2006-06-02

[読書] 田島正樹『読む哲学事典』(講談社現代新書、5月21日刊)


(写真は、ヘラクレイトス像。)


本書のコメントを続ける。「運と偶然」「自由と問題」「本質と時間」などの項目は、本書の実質的な主題である「新しい意味の生成」が、明示的に扱われている。まず、田島氏がよく用いる、囲碁の卓抜な比喩から見ていこう(p63f)。囲碁には「振り代わり」と呼ばれる戦略の大幅な変更が起こりうる。以前には戦略の中心であった石が、捨石に変わったり、それまで失敗と思われた布石が、新しい構想の下では、強力な布陣として生き返る。つまり碁で打たれる石の一つ一つは、その意味が初めから決まっているわけではなく、碁の進展とともに、時間的に後になって、ようやく最初の石の意味が打ち手によって発見される。このような「意味の新しい生成」こそ、「自由」の核心にあるものだと、田島氏は考える。


「生成した新しい意味」は、それまでの目論見や計算、あるいは意図、目的などからは出てこないものである。だからそれは、真に「新しい」のであり、それまでの意識を超えて「到来する」「超越した意味の次元」なのである(231)。このような経験は、「我々が迷いながら試行を繰り返す」(125)、その過程の中からしか生まれない。ぼんやりしているところに、空から降ってくるのではない。というのは、「我々が迷いながら試行を繰り返す」うちに、我々はそれと知らずに、「問題の解決」という「課題」に向き合っているからである。この「問題の解決」は、どのように解かれたらそれが「解決」であるのかは、あらかじめ分かっていないにもかかわらず、実際に解かれてみると、「ああ、これが解決だったのだ」と分かり、そして同時に、「こういう問題だったのか」と、そもそも何が問題であったのかが初めて理解できる。解かれていないうちは、我々は、自分がどのような問題の中にいるのかを本当には理解できない。「自由」とは、ある意味では「問題の解決」なのだが、それは、解かれて初めて問題そのものが理解できるような「解決」のことである。


これは、「可能性」というものに対する、我々の見方を変える重要な洞察である。「可能性」と「現実性」の関係は、すでに潜在的にあった「可能性」が「現実化する」という常識の理解では尽くされない(126)。「可能性そのものの新たな出現」という事態を考えなければならない。「問題の解決」によって、何かが「変化する」のだが、その「変化」は、「ものの性質」が変化するような変化ではない。田島氏は言う。「すでに存在する存在者の本性からあらかじめ与えられた可能性の中では、記述できない変化が問題なのである。それは与えられた存在者の性質変化ではなく、あらたな存在者が生成することによって起こっている変化である。つまり、解決という実体が生成したことによる変化なのである。」(127)


田島氏は「問題解決という実体の生成」(127)という、きわめて興味深い提案を行う。哲学史の常識では、「物体」とか生物の「種」のようなものが堅固な「実体」と考えられており、「問題解決」が「実体」であると言う人はほとんどいない。だが、この「問題解決という実体の生成」は、田島氏の「反実在論」の要をなす概念であり、検討に値する提案だと思う。どうも最初から一番難しい話になってしまったが、本書で田島氏は、「問題解決という実体の生成」をさまざまな具体的な場面で論じている。それを各論に即して見てゆきたい(続く)。