[映画] 是枝裕和監督『花よりもなほ』 熊谷シネティアラ21
(写真左は、若い後家を演じる宮沢りえと、弱い侍役の岡田准一。写真右は、長屋の人々。古田新太、田畑智子、香川照之、千原靖史)
是枝裕和のデビュー作『幻の光』を観てからもう11年になるが、彼が初めて時代劇を撮った。なかなかの豪華俳優陣で、ちょっと異色で味のある時代劇になった。タイトルの「花よりもなほ」は、忠臣蔵で有名な浅野内匠頭の辞世の句「風さそふ 花よりもなほ 我はまた 春の名残を いかにとかせむ」から採られた。切腹する自分を散る花にたとえて、仇敵・吉良上野介に対する深い怨念を詠んだものだ。つまり「仇討ち」がこの映画の主題なのである。
物語は、赤穂浪士たちが吉良上野介を討とうと画策している元禄15年(1702年)の江戸。ある貧しい長屋に、浪人や庶民が暮らしているが、そこに殺された父の仇討ちのために上京した若い侍の宗左(そうざ)も身を潜めている。だが彼は剣術がまるでダメで、とても弱い。故郷からは、仇討ちはまだかという圧力がかかり、悩み抜く。長屋には、夫を殺された若い後家のおさえが子供と住んでおり、おさえと宗左の間には、淡い恋の感情が芽生える。さまざまな理由で武士社会から落ちこぼれた人々が、最下層の庶民と一緒に暮らしているのが、この長屋の特徴なのだ。しかもそこには、吉良を討とうとする赤穂浪士たちも、故意に身をやつして潜んでいる。
長屋には子供も多く、たくましい庶民のエネルギーが渦巻いている。彼らとの「人情喜劇」の交歓の中で、宗左や赤穂浪士の一部の者は、仇討ちの意思が弱まってしまう。年末に赤穂浪士の仇討ちは決行されたが、その内実は、脱落者が続出する苦しいものであった。赤穂浪士の仇討ちの「成功」が江戸を騒がす中で、この長屋も取り崩されることになったが、宗左は寺子屋で子供たちに字や算術を教えることに、新しい人生の意味を見出していく。
弱い侍の宗左を中心とするコミカルな人情喜劇だが、仇討ちや武士道がパロディになっているのが、この映画を奥行きのあるものにしている。元禄15年にはもはや武士道は形骸化し、時代感覚からずれていることが、江戸の庶民の生活や会話から読み取れるのだ。「お侍は刀差してるだけで、何も作っていないじゃん」と、末端武士は庶民からいじめられる。これが"長屋の喜劇"をとても面白くしている。庶民の子供や女たちの健康なたくましさは印象的だ。彼らの明るさそのものが、「切腹」や「仇討ち」の暗さと好対照をなす。赤穂浪士の仇討ちは、おそらく当時の人々も覚めた好奇心の眼で見ていたのではないか。主演の岡田准一は、感情の微妙な表現が見事な好演。ここで動画も一部みれます。↓
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