野村萬斎『敦 山月記・名人伝』

charis2006-09-14

[演劇] 野村萬斎『敦 山月記名人伝
世田谷パブリック・シアター


(写真右は、『名人伝』の紀昌を演じる野村萬斎。後ろは弓の名人、飛衛を演じる石田幸雄。下は、萬斎演じる中島敦。)


野村萬斎中島敦の『山月記』『名人伝』を演劇化。構成、演出、主演を萬斎が一手に引き受けた。昨年、話題になった初演は見れなかったので、再演を見る。たしかに良く出来ている。あの丸メガネの写真で有名な中島敦を萬斎が演じ、さらにまったく同じ風体の中島敦が3人登場。この4人の「敦たち」が語り部になって、小説『山月記』『名人伝』の文章を、分担しつつそのまま変えずに語る。『山月記』では、虎になる李徴には、父の野村万作、その友人は石田幸雄が演じて、それぞれの科白を語る。『名人伝』では、中島敦だった萬斎が上に服を着て、主人公の紀昌役になる。


山月記』と『名人伝』の二つを組み合わせたのが成功した。というのも、『山月記』は有名な割には、主人公に共感できない作品で、官吏として出世もできず、怒って辞めたからといって、詩人にもなれなかった男が発狂した(=虎になった)という話だからだ。しかも、虎になってからも、うじうじと自嘲的で、昔作った下手な詩を世に残したいと旧友の官吏に懇願するダメ虎だ。こんな俺を笑ってくださいという「喜劇」にしては暗い。それに対して『名人伝』は、中国一の弓の名人になろうという青年・紀昌の物語だが、自由闊達な雰囲気に満ちた寓話の傑作だ。紀昌が最後に師事した老隠者の弓の師匠が、まったく弓を使わず、中国一の名人になって故郷に凱旋した紀昌もまた、40年間、一度も弓矢を使わないという「不射之射」、つまり「無為こそが至為」という「おとぼけ」が素晴らしいのだ。


今回の演劇化で興味深かったのは、漢字を多用する中島敦の名文が、耳で聞いてもよく分かることだ。たとえば『名人伝』の書き出し。「趙の邯鄲の都に住む紀昌という男が、天下第一の弓の名人になろうと志を立てた。己の師と頼む人物を物色するに、当今弓矢をとっては、名手・飛衛に及ぶ者があろうとは思われぬ。百歩を隔てて柳葉を射るに百発百中するという達人だそうである。紀昌は遥々(はるばる)飛衛をたずねてその門に入った。」萬斎の語りが実に心地よい。ただし、特に『山月記』に言えることだが、小説であるがゆえに、そのまま科白としてしゃべると「説明的」になってしまうのが欠点だ。演劇の科白と小説文との本質的な違いは、やはり乗り越えられないものがあると思う。


今回の舞台では、近くで見たせいもあるが、萬斎の「身体」が素晴らしかった。狂言の時もそうだが、全身がバネのようにしなやかで、彼が姿勢を正して歩くだけで、ほれぼれするほど美しい。奇妙な衣装を着たハムレットのときよりも、古風な背広に丸メガネを掛けた青白いインテリの中島敦の方が、萬斎の身体が美しく輝いて見えたのは不思議だ。