田島正樹『読む哲学事典』(10)

charis2006-09-22

[読書] 田島正樹『読む哲学事典』(講談社現代新書)


(挿絵は、パラス・アテナ。16世紀イタリアの画家、パルミジャニーノの作。ギリシア彫刻とは違い、優美な女性だ。アテナ女神は”戦闘美少女”の元祖だが、このアテナには戦闘性は感じられない。)


本書の解題は、これで最終回。「一者と実在性」の節を扱う。本書の全体を貫く大きな主題に、幸運な偶然による「新しい意味の生成」がある。機械仕掛けの神パラス・アテナが告げるご託宣が、古代ギリシアにおける政治的公共性の誕生を寿ぐものであったように、田島氏の哲学は、「意味の未完結性」→「新しい意味の生成」→「美、美徳、政治的公共性の偶然性」と、形而上学から言語哲学、政治哲学、そして美と芸術に至るまで、全体が深く通底している。では、なぜ、美徳や政治的公共性は”偶然の賜物”なのだろうか?


アリストテレスによれば、「勇気」という美徳は、決して人間の固定した属性のようなものではなく、「臆病」と「向こう見ず」という二つの悪徳の間で、状況と結果がプラスした場合にのみ、幸いにも「勇気」と呼ばれるような、ある意味では偶然の幸運の産物である。同じ行動でも、結果が悪ければ「向こう見ず」と非難され、良ければ「勇気」と称えられる。要するに、「勇気」と「向こう見ず」は紙一重の差しかなく、しかも自分だけでは決められない外部要因に左右される。「美徳とは、多くのものの絶妙なバランスの上に、様々の二律背反を克服するところに、かろうじて存立するものなのである。悪徳は、美徳がかろうじて達成している絶妙なバランスが欠けていることであり、その欠如の方向は多様である」(p34)。


「一者と多者、美徳と悪徳、実在とその欠如はこのように並行する。したがって、善を否定すれば悪になるが、悪を否定したからといって善を得られるとは限らない」(同)。たとえば、悪徳の否定形「臆病でない」は、美徳である「勇気」を帰結するとは限らず、ほとんどの場合、別の悪徳である「向こう見ず」に帰着してしまう。だからこそ、「勇気」は希で価値ある美徳なのだ。


ここから得られる重要な洞察は、美徳のような「実在的述語」と、悪徳がそうであるような多様な欠如態、すなわち「非実在的述語」との非対称性である。通常、我々は言語表現の形式に従って、「A」と「Aでない」という肯定・否定のワンセットで捉えがちなので、一者と多者の非対称性を見落としてしまう。その結果、一者である「実在的述語」の在り方もまた、正しく理解されないことになる。たとえば、「勇気」という実在的述語は、まだ知られていない実在的性質をもつ。というのは、「勇気」はさまざまなバランスの上に成り立つ稀有の美徳であるから、我々がこれまでに知る「勇気」の実例だけから「勇気」の本質を規定し尽くすことはできず、未来にありうるさまざまな状況と要素の組み合わせの中に、新しい「勇気」が実現するだろうからである。つまり、「勇気」のような美徳の意味(Sinn=達成経路)はつねに未完であり、新しい意味が生成することにより、美徳はつねに豊かなものになってゆく。これが、実在的な一者の在り方なのである。


こう考えると、「平和」のような美徳や、政治的公共性も、さまざまな要素のバランスの上にようやく達成される、つねに未完の実在的な一者であることが分かる。本書の「保守主義と左翼」の節は、興味深い指摘をしている。それは、「左翼」と「右翼」という概念を、通俗的な政治的党派性によってではなく、政治的公共性を複雑な対立的要素のバランスの上に成り立つ危うい均衡とみるか(=左翼)、分裂を含まない共同体の統一性とみるか(=右翼)という違いに求めている。田島氏によれば、政治的公共性の希少的価値をよく理解しているのは、右翼ではなく「保守主義」である。左翼と保守主義の違いは、左翼が、社会契約論的な合理主義に基づいて、政治的公共性を、能動的に実現すべき規約的なものと見なすのに対して、保守主義は、社会の人為的設計というデカルト的発想を嫌う点が異なっている。


フィガロの結婚』は美しい。フラ・アンジェリコの「受胎告知」も美しい。そして、竜安寺の石庭もまた美しい。このように「美」は、まったく異なるさまざまな要素のバランスの上に実現する稀有の調和であるがゆえに、その意味(=Sinn=達成経路)は未完であり、マニュアルによって達成することも、意味を一義的に言い尽くすこともできない。政治的公共性もまた、さまざまな民族、歴史、文化の異なる多様な社会において、ある種の偶然性に助けられつつ実現する稀有の美徳である。以上から分かるように、田島氏の『読む哲学事典』は、フレーゲが区別した「意味」の二つの要素(BedeutungとSinn)のうち、Sinnを「達成経路」「アプローチの道筋」と捉え返すことによって、形而上学倫理学政治学、美学を包括する一貫した視点を切り開いたといえるだろう。