モーツァルト『劇場支配人』

charis2006-11-03

[オペラ] モーツァルト『劇場支配人』
朝日ホール
(高橋英郎台本、モーツァルト劇場公演)


(写真右は、ポスターより。写真下は、ウィーン・フォルクスオーパー公演『劇場支配人』、2006年3月)


モーツァルト生誕250年の今年、ザルツブルク音楽祭では彼のオペラ作品全22曲が上演されたという。それには及ばないが、日本でも今年は珍しい作品が観られる。『劇場支配人』は、1786年、ヨーゼフ2世がオランダ大公を迎える祝宴のために特注したもので、『フィガロの結婚』作曲の合間に急いで書かかれた。オペラというより、音楽付きの演劇というべきで、一幕一場、全体が1時間、音楽の演奏時間は25分程度。祝宴では、サリエリの作品の前座だったという。タイトル“Der Schauspieldirektor”は、『劇場支配人』というより『劇団座長』の方が内容に近い。筋は、いわゆる「楽屋オーディション」もの。旅回りの貧しい劇団座長が出演者に困って募集すると、ソプラノ歌手二人が応募してくる。オーディションの結果、どちらも合格だが、二人は自分こそがプリマだと言って譲らず、醜く争い、それに周囲が振り回されるという笑劇。


プリマを争う二人の女性を歌ったのが、モーツァルトの初恋の女性アロイジア・ランゲ夫人と、彼の敵であるサリエリの愛人カテリーナ・カヴェリエリ夫人であったという。「歌手採用の裏事情」が、関係者には面白かったのかもしれない。出演者のギャラの交渉や、パトロンの介入など、実際にあったであろう楽屋裏の事情を垣間見せる喜劇になっている。しかし何といっても『フィガロ』と平行して作られただけあって、音楽が素晴しい。


序曲は清明な感じに溢れているが、驚いたのは、応募してきた二人の女性がオーディションとして自分の得意曲を歌うシーン。その一人、高慢なソプラノ歌手ヘルツ夫人(品田昭子)が、パトロンであるスイス銀行頭取のアイラー氏(吉田伸昭)と歌うのが、何と、ドン・ジョバンニとツェルリーナの例のデュエット「さあ行きましょう、いとしい人よ」。 そして、もう一人の応募者ジルバークラング嬢(菊地美奈)が歌うのが、『フィガロ』のケルビーノのアリア「恋とはどんなものかしら」。どちらも、モーツァルト全作品中でも屈指の美しい曲だ。何ともサービス精神に溢れる舞台ではないか。作曲年代からして、初演では別の歌だったのだろう。しかし、オーディションで得意のアリアを歌わせるというのは、一種の「劇中劇」だから、このような「遊び」ができる構造になっているわけだ。ガラ・コンサート形式を先取りしているともいえる。モーツァルトが皇帝の急な注文に、「楽屋オーディション」という巧みな構想で応えたのは、やはり、あらゆる機会を捉えて「偶然を必然に転じる」天与の才ではないだろうか。


二人のプリマは、『フィガロ』のスザンナとマルチェリーナの二重唱の場面にも増して醜く争うのだが、そこで歌われる三重唱は、『フィガロ』のそれに劣らず美しい。そして最後の大団円で歌われる四重唱の、一瞬にして調和をたぐりよせる奇蹟のような美しい響き。それは、たしかに『フィガロ』のそれに通じている。