ワルシャワ室内歌劇場『後宮からの誘拐』

charis2006-12-04

[オペラ] モーツァルト後宮からの誘拐
ワルシャワ室内歌劇場公演 渋谷オーチャドホール


(写真は舞台より。左側がヒロインのコンスタンツェ、右側が女中のブロンデ。中央はトルコ人の番人オスミン。逃げようとした4人を捕らえたところ。)


コンスタンツェのコロラトゥーラなどは興味深いが、音楽に関しては、モーツァルトのオペラとしては地味な作品。ワルシャワ室内歌劇場のこの舞台は「おとぎ話」風の演出だが、ポスト・コロニアルがらみの新演出がさまざまに試みられる最近の状況下では、ちょっと物足りない。先日のローマ法王のトルコ訪問や、トルコのEU加盟問題もそうだが、ヨーロッパとトルコの関係は微妙だ。17世紀末にはトルコ軍のウィーン包囲もあり、この作品は1782年だが、1788年にはオーストリアはトルコに宣戦している。そういう背景で見ると、この作品はなかなか面白い。


トルコの太守セリムの後宮に囚われているヨーロッパ娘を許婚が救出するという物語。太守セリムはヒロインのコンスタンツェに、後宮の番人オスミンはコンスタンツェの女中ブロンデに思いを寄せており、それぞれ真剣に口説くのだが、二人ともまったく相手にしない。番人オスミンは「野蛮なトルコ人」というキャラだが、彼の口説きを女中ブロンデは鼻先であしらう。「ちょっとあんた、その程度のマナーの男が私のようなイギリス娘を口説こうなんて笑止千万」といった調子なのだ。オスミンも、「俺の手に負えん、女が強くてイギリスの男性は大変だろうなぁ」と嘆息してみせる。ヨーロッパ娘を野蛮なトルコ人に取られたくないという、当時のヨーロッパ世界の”本音”が透けてみえる。最後に、逃げようとして捕らわれた4人を太守セリムが寛大にも許すという展開も、ヨーロッパの啓蒙専制君主がモデルになっているという。プログラムの解説に、「セリムは、おそらく若いときにはヨーロッパに留学したインテリ」と書いてあるが、論拠は何なのだろう。ヨーロッパに留学したから、トルコ人もまともな王様になったということか。21世紀の解説者にしては、素朴すぎる見方ではないか。コンスタンツェやブロンテは「純粋で誠実な愛の力」を高らかに歌い上げているが、この作品を現代のトルコで上演したら、いくらか後味が悪いのではないか。


アドルノは「コンスタンツェ」と題した小文でこう書いている。「(ブルジョア社会の)愛情観は、何もかも偽りだらけの世の中にいきなり一つの真実を持ち出してくるために、せっかくの真実も一種の虚偽に成り変ってしまう。」(『ミニマ・モラリア』)