『マクベス’07』

charis2007-04-03

[演劇] シェイクスピアマクベス'07』 栗田芳宏構成・演出 国立能楽堂

(写真右はマクベス(市川右近)とマクベス夫人(市川笑也)。写真左は三人の魔女とヘカテ(藤間紫)。2006年度公演)


マクベス』を能舞台で上演する面白い試み。初演は2004年だが、演出を少しずつ変えて、今回は再々演。様式化に工夫をこらした舞台で、衣装も美しく、全体として成功していると思う。舞台は、能的、歌舞伎的、新劇的という三つの要素が混じり合うものになったが、能や歌舞伎の様式化が成功した部分と、それがうまくいかなかった部分とがある。たとえば、魔女の儀式はきわめて見事。三人の魔女は若々しい美女で、しなやかに動き、それと対照的に、老女ヘカテは能と同じにきわめてゆっくり重々しく動く。いかにも魔法使いの統領らしい。また、終幕近く、狂ったマクベス夫人が夜中に夢遊病者のように徘徊し、手の汚れを嘆くシーンは、能の重い動きと独白がぴったりする。最後のマクベスとマクダフの斬り合いは、いかにも歌舞伎的に演じて見事。


だが、シェイクスピアの原作は言葉がシャワーのように降り注ぎ、饒舌で雄弁な会話から成り立っているので、そのような会話でしか表現できない部分は、能や歌舞伎の様式化にはなじまない。具体的には、マクベスが切々と自分の不安を訴え、夫人がそれを諌めるシーンや、バンクオーの亡霊が現れてマクベスが驚愕し、宴会が大混乱になる場面などは、今回の舞台でも、役者が早口で大量の科白をしゃべりまくって絶叫している。つまり、ここだけは完全に新劇になっている。衣装は能でも、演技と科白は新劇なのだ。互いに言葉を尽くして語り合い、心の葛藤が劇的なものに高まっていく、まさにシェイクスピア的な部分をどのように様式化するのか、これが大きな課題だと思う。