四月大歌舞伎を観る

charis2007-04-12

[演劇] 四月大歌舞伎(夜の部) 4月12日、歌舞伎座


(写真左2枚は中村勘三郎、右は、プログラム表紙の錦絵)


私が勤務する大学の美学美術史学科では、毎年、新入生オリエンテーション旅行は東京に一泊して、歌舞伎と美術展を鑑賞する。今年も教員と学生が一緒に歌舞伎を堪能した。


歌舞伎にあらためて感心したのは、タイプの違うさまざまな感情表現が上手に盛り込まれていることである。たとえば今回の公演の、『実盛(さねもり)物語』(1749年、並木千柳と三好松洛の作)は、源平盛衰記に着想を得た時代物で、浄瑠璃と三味線が付く本来の形式。「型物(かたもの)」と呼ばれて演技の様式美がくっきりしている。物語は、平家全盛の時代に、逃げ延びて田舎にかくまわれている源氏方の葵御前が木曽義仲を出産する。しかし平家方の検分に合い、赤ん坊はあやうく殺されそうになるが、斎藤別当実盛の「情け」によって見逃される。


切り殺されて源氏の白旗を手で握り締めたままの女の片腕が出てくるなど、基調は悲劇的なのだが、面白おかしい表現要素が色々と取り込まれている。たとえば、人間が演じる馬が、乗り手の手綱の指示に従わず、すねたり、顔をそむけたりして、大いに笑わせる。また子供役者の活躍シーンが多く、とても印象的だ。7歳になったばかりの片岡千之助は、何度も可愛らしい声を張り上げて武士風の見得を切る。その仕草の可愛らしさは格別だ。伝統芸能の役者は世襲制だが、そのことによって「子役の出番」が作られ、それがまた舞台に彩を添えるという面白い因果関係がある。舞台そのものに“世襲”が内面化されているわけだが、それは必ずしも悪いことではない。今回も、実盛を演じるのは二枚目のスター役者、片岡仁左衛門だが、千之助は彼の孫だから、祖父と孫が一緒に舞台に立っている。歌舞伎好きの人にとっては、贔屓の役者のこのような楽しみ方もあるのだろう。


一方、『魚屋宗五郎』は、河竹黙阿弥の1883年の作だから明治時代。イプセンの『人形の家』(1879)よりも新しく、チェホフも書き始めている頃だ。妹を間違った不義密通の疑いで殺された兄の魚屋が、めちゃくちゃ酔っ払って気が大きくなり、領主の屋敷に単身で殴り込みをかけるという喜劇。歌舞伎の中では、庶民の生活と感情を描いた「世話物狂言」というジャンルに属する。浄瑠璃も三味線もなく、内容はどたばた喜劇で、歌舞伎が近代演劇に近づいてゆくのを感じる。科白も、『実盛物語』より百数十年後だから、ずいぶん分かりやすい。禁酒を誓ったはずの宗五郎が、妹の死の真相を聞かされて耐えられなくなり、酒を飲み始めてどんどん酔っ払っていくシーンが非常にリアルで、大いに笑わせる。このシーンが全体のハイライトなのだから、要するに、ホームドラマ風の喜劇なのだ。宗五郎を演じる中村勘三郎もスター役者の一人だが、さすがに上手い。そして、女中の「おなぎ」を演じるのが勘三郎の息子の七之助、使用人の「三吉」を演じるのが七之助の兄の勘太郎だから、ここでも役者は、父と息子二人が共演している。


歌舞伎は、さまざまな題材を貪欲に取り込んだ、実に多面的で懐の深い演劇だ。幕末から明治の初めにシェイクスピアが伝えられたとき、歌舞伎関係者は「新しいネタが増えた」と大歓迎したというのも分かる。実際、明治時代のシェイクスピアは、最初は歌舞伎に翻案されて上演されたのだから。