ザルツブルク音楽祭『ドン・ジョバンニ』

charis2007-05-01

[DVD] 2006ザルツグルク音楽祭ライブ『ドン・ジョバンニ


(写真右は、レポレロとジョバンニを追い詰めるオッターヴィオ、ツェルリーナ、エルヴィラ。)
(写真下は、ジョバンニ)

(中央がレポレロ、右端がドンナ・アンナ。)

(マゼットを組み伏せるジョバンニ。追っ手の村民たちはゴルフ棒を握る)

昨2006年、ザルツブルク音楽祭モーツァルトの全オペラを上演した。そのDVDがシリーズで続々と出るのは嬉しい。まず『ドン・ジョバンニ』を観た。1975年生れの若い指揮者ハーディングが、演出家マルティン・クシェイと組んだ前衛的な舞台で、意表を突くクシェイの演出には驚かされる。一言でいうと、エロスよりはタナトスとしてジョバンニを捉えている。まず、舞台は、巨大な「白い壁」が主人公のように感じられる。高い天井の真っ白な「何もない空間」の中では、ジョバンニを含む人間はとても小さい。巨大な廻り舞台が回転し、真っ白な曲面の「壁」やパネルが複雑に動いて空間を仕切ってゆく。壁にはたくさんのドアがあり、そこから人物が現れては後ろに消える。巨大なビルの裏口のような小さい「穴」から人間は出入りするのだ。まるで、巨大な墓地に住んでいるかのように。ほとんどの演技は、カーテンコールの時のように、舞台の一番手前の細い空間で、壁を背景にして行われる。自由な性を謳歌しているように見えるジョバンニと、彼を取り巻く人々は、実は切迫した狭い空間を生きているのだ。


白い空間に人間の衣装の色彩が映えるだけでなく、光線で白い空間を変色させることは、効果的な舞台効果を作り出す。舞台を真っ暗にした中でジョバンニが歌い、次に強烈なライトで照らすなど、面白い趣向もある。最後のジョバンニ地獄落ち後の大団円は、暗く青白い光線の中で行われる。そのせいで大団円は、ジョバンニの死を悼むお通夜のようだ。アンナ、エルヴィラ、オッターヴィオ、マゼット、ツェルリーナらは、少しも明るくならず暗いままで、勝者ではなく敗者のように見える。


舞台には、下着姿の美女がたくさん登場する。ヨーロッパの演劇では役者が裸身になることは珍しくないが、オペラも”過激”になってきている。マネキンのようにずらりと並ぶ下着姿の美女の間を彷徨するジョバンニとレポレロ。彼女たちが性愛の象徴であることは分かる。第一幕の最後、ツェルリーナが陵辱されそうになるシーンも、ジョバンニではなく下着姿の美女たちが彼女を胴上げして体中を愛撫する。美女たちはジョバンニの分身なのだ。だが、ここまでは"ご愛嬌"にすぎない。美女たちは老婆に変わり、生が死へ向かって変容するのだ。


夜の、騎士長の石像の場面では、彼女たちは同じ下着姿の老婆に代る。嫌悪感を感じさせるそのグロテスクな姿によって、死が象徴されているのだ。演出のクシェイはインタヴューで、「ジョバンニは生の象徴であるよりは死の象徴」だと語っているから、この老婆たちも、ジョバンニの分身なのだろう。しかしもっと驚いたのは、騎士長がジョバンニの晩餐に現れるときだ。晩餐はジョバンニの食堂ではなく、雪が降る中、積もった真っ白な雪の中にぽつんとテーブルが一つ置かれている。そこで食事するジョバンニが突然消えて、ライトが再びつくと、何とその席に、黒い蝶ネクタイに黒い礼服姿の騎士長が座っている。しかも、色を黒に変えた下着姿の美女をずらりと従えて。どうみてもこれはマフィアのゴッドファーザーか、娼婦の胴元のように見える。騎士長は、ジョバンニの悪を征伐するために天国からやってきた”倫理の象徴”だったはずなのに、これは何なのか。騎士長さえもパロディー化して、”最終審の審級”を否定しているのか。天国の使者も、地獄に落ちた者も、生き残った者も、たいして変わらないのだよ、と。あるいは、"死相"を帯びたゴッドファーザーは、「死神」に類比される存在なのかもしれない。


歌手は、若々しいレポレロやマゼットが非常によかった。ジョバンニもまあよかったが、ドンナ・エルヴィラに精彩がない。ドイツを代表するソプラノの華、クリスティーネ・シェーファーをドンナ・アンナ役で見られたのは嬉しい。とはいえ、声は美しいが、さすがに彼女ももう若くない。ルルのあの歴史的名演からだいぶたっているわけだ。


シェーファーで思い出したので、『ジョバンニ』でもっとも美しいデュエット「お手をどうぞ(La ci darem la mano)」のツェルリーナを歌う映像をYou Tubeから貼っておこう(1998年)。わずか3分間の歌だが、ネトレプコと比べると、シェーファーの良さがよく分かる。↓
(1) シェーファー https://www.youtube.com/watch?v=eJX5ExHk-xY&list=RDeJX5ExHk-xY&t=33
(2) ネトレプコ http://www.youtube.com/watch?v=zEDnmGnYb6I
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(3) 2006年ザルツブルク音楽祭フィガロ』 シェーファーネトレプコが共演。女性二人で少年を愛撫するというのは、たしかに悩ましいシーンではありますが↓
http://www.youtube.com/watch?v=PbdHO3OYpV8

(4) アルバン・ベルク『ルル』を演じるシェーファー。(1996)