[読書] ルース・ミリカン『意味と目的の世界』(信原幸弘訳、勁草書房、'07年1月刊)
(写真は著者近影。コネティカット大学名誉教授。)
非常に興味深い本だったのでコメントしたい。バクテリアから人間の意識に至る進化の過程を、「表象」という一貫した構図で捉える実に雄大な構想だ。本書のポイントは、自然主義の記号論にあり、人間の言語をモデルに記号を考える従来の発想に対して、著者は、原始的な生物もまた記号を用いて生命活動を営んでいると考える。たとえば、ある種のバクテリアは酸素の多い海水が苦手なので、細胞内の磁石が示すN極の方向へ動くことによって、酸素の少ない深い海へ移動できる。この場合、磁石のN極の方向と、酸素の少ない海水とは、因果関係で繋がっているわけではないので、この磁石は酸素の少ない海水のありかを「表象する(表現する、指示する)」原始的な自然記号として機能している(p61)。我々は人間のいない原始の地球では、自然の因果関係だけが働いていると考えがちだが、そうではなく、原始的な生命の中のある要素が、他の何か別の要素を「表象する(表現する)」記号として働くことがありうるのだ。このように考えれば、原始の生命から動物を経て人間の記号や思考活動に至る全体が、「表象(表現)」の進化論として捉えられる。
よく知られた例として、蜜の場所を教えるミツバチのダンスがあるが、著者はまず、「局地的反復記号」という概念を提出する。「コネティカット州では、ガンが2003年11月25日に南に飛んでいる<ということ>は、2003年11月25日のすぐ後にコネティカットに冬がやって来る<ということ>の自然的記号である。」(64) ここで重要なことは、「記号の構造には、それ自身の時刻と場所が含まれている」ことである(65)。つまり、ある同じ場所において、ガンが南に飛んだ時刻と、冬の到来の時刻という、二つの時刻の間の関係が反復的・規則的な関係にあるから、前者が後者を「表象(表現)する」記号になる。前者が後者を因果的に引き起こすのではなく、前者と後者の時空的関係が規則的に反復されるという関係があればそれで十分であり、前者が後者を「表象(表現)する」という関係が生まれる。「反復的記号において<反復する>のは、同じ記号体系の中の他のメンバーである。」(65) AがBを因果的に引き起こす場合には、もちろん、AとBの規則的反復が生じるが、しかし因果関係がなくても、項と項が規則的に反復するという相関関係はずっと広範に生じうる。このような自然の中に時空的に存在する相関関係が、記号すなわち「表象(表現)」の起源なのである。
たとえば、網膜像がそれを引き起こした対象の記号であるのは、網膜像が対象によって光学的・因果的に生み出されたからではない。「ある網膜像がジョニー[という人物]の自然的表象になるのは、たとえば、それがジョニーによって引き起こされるからではなく、それがジョニーの局地的記号だからである。つまり、それが、ある場面のなかでジョニーの反復的記号となるような諸特徴の存在を示す記号だからである。」(74) 私の網膜にジョニーが映るときはたいてい、次に互いに挨拶をかわすとか、あるいは、私は彼を嫌ってそっぽを向くというような規則的反復関係があるので、その網膜像はジョニーの記号になるのだ。人間の笑いや渋面も、このような原始的な自然記号である(216)。笑いや渋面は、その人間の喜びや悲しみ、怒りなどの体験と一定の時空的・規則的・反復的な関係があるから、誰かの笑いや渋面を知覚した人は、そこに当人の喜びや悲しみの表象(表現)を見て取るわけである。このように「記号」のもっとも原始的なあり方は、記号自身が一定の時空的位置を刻印された出来事であるという点に求められる。このように考えると、たとえば、「写真」のもつ記号性、表象(表現)性の特徴があらためて見えてくるが、それは次回で。(以下、続く。)