土井隆義『友だち地獄』(2)

charis2008-04-07

[読書] 土井隆義『友だち地獄−「空気を読む」世代のサバイバル』(ちくま新書、08年3月)


(写真は、天を支えるヘラクレスを助けるアテナ。彼女はどこまでも「父[=ゼウス]の娘」で、オデュッセウスに”好意”を寄せても、恋愛や結婚には無縁の”バリキャリ系”女神。)


[承前] 選択肢の増加が、それぞれの選択肢の価値を低めてしまうという、土井氏の論点をさらに考えてみたい。土井氏は、「たとえ選択肢の間に序列がついていないとしても、いや、むしろ序列がついていないがゆえに、あらゆる価値は等しく低下する。・・・かつてと比べて男女が出会って恋愛する機会は増えているのに、いや、だからこそ、なかなか結婚へと踏み出せない人々が増えている」(p185)と言われる。なぜそうなるのだろうか?


まず、我々が複数の選択肢の前で決めかねるのは、選択肢のそれぞれが複雑に条件づけられているからである。たとえば、自分の前にAとBという選択肢が可能なものとして現れたとしよう。どちらも同じくらい魅力的に見えるとしたら、それは通常は、自分がAやBをまだよく知らないからである。我々は、AとBをもっとよく知ろうとして、さらに詳細に検討する。すると「こういう条件を重視すればA、ああいう条件を重視すればB」というように、決定するための条件が意識されてくる。それですぐ決定できる場合もあるが、しかしそう簡単にいかないことも多い。というのは、選択肢のそれぞれが条件づけられたとしても、その条件のどちらも自分には大切な条件であり、一方を捨てることはできないならば、簡単には決められないからである。たとえば、イケメンのA君とB君がいるのだが、「高収入のA君は妻が働くことを好まず、低収入のB君は妻の仕事に理解がある」場合、ある程度の豊かな暮らしと、自分が仕事を続けることの両方を望む女性にとっては、A君もB君も結婚の対象者とはならない。


土井氏の言うように「男女が出会って恋愛する機会が増えた」のは、女性の高学歴化と社会進出が進み、経済的にも心理的にも自立した女性が増えたからである。しかしそれは同時に、「豊かな暮らしと自分の仕事のどちらの条件も捨てたくない」女性が増えたことを意味している。つまり、「男女が出会って恋愛する機会を増やす」社会的条件の生成は、それ自体が、「なかなか結婚へと踏み出せなくなる」個人的条件の生成なのだ。土井氏の言うように、豊かな社会は生き方の多様な選択肢を生み出したが、選択肢の拡大それ自体が、選択の条件を複雑化するので、ハードルが上って、決定はより難しくなる。選択肢の多様性そのものが「それぞれの価値を互いに低め合う」(土井氏)というよりは、選択肢と同時に生成した新しい条件が決定を困難にするのだ。そして、決定が困難であるにもかかわらず、自分がいずれかを選んでしまったとすれば、それは偶然によるのであって、自分の選択が「最善であり、必然であった」という感覚を持ちにくい。「別の選択もあったのに」という”心残り”が、自分の選択したものの価値を低いものに感じさせてしまうのである。


社会が近代化して豊かになることは、貧困や宗教的・道徳的不寛容など、伝統社会がもつ大きな問題の幾つかが解決されたことを意味する。だが、この解決そのものが、人間の欲求水準をさらに高めるので、そこに新しい問題が生まれる。前の時代の人間にとって問題の「解決」であることが、後の時代の人間には問題の「生成」であるというのは、人間の宿命である。だから、より若い世代である若者が感じる「生きづらさ」は、我々が歴史の中に”人間らしい仕方で置かれている”ということでもある。いわゆる”少子化”問題もまた、問題の「解決」が問題の「生成」でもあるという、いかにも人間らしい事態として、むしろ前向きに受け止めなければならないだろう。[続く]