シェイクスピア『十二夜』

charis2008-04-13

[演劇] シェイクスピア十二夜』 劇団LABO!公演
東京・神楽坂のtheatre iwato


(写真下は、イギリスの大学の上演、その下は、1772年に描かれた『十二夜』の絵)


劇団LABO!は、夭折した劇作家、如月小春の劇団NOISE関係者によって結成された劇団。theatre iwatoは、劇団・黒テントの拠点劇場。コンクリート打ち放し、客席100程度の狭い”小部屋”だ。マイナーな劇団、マイナーな劇場、4日間、たった6回の上演。でもそれは、その活気、楽しさ、濃密なパワーなど、私がこれまで十数回は見てきたさまざまな『十二夜』の中でも、決して遜色のない舞台だった。


十二夜』は、それ以前には存在しなかった”ロマンティック・ラブ・コメディ”という新しいジャンルの創造であると同時に、科白の詩的な美しさという点では、シェイクスピア作品中随一であろう。ドタバタを旨とする「笑劇」の要素と、報われない片思いの切なさが溢れるロマンティックな要素との二つが絡み合った作品だが、日本語で上演する場合、どうしても「笑劇」的な要素が強まるのはやむをえない。今回のLABO!公演の特色は、音楽を全面的に多用したこと、しかも生の楽器演奏を行ったこと、それから、ヒロインのヴァイオラを男優が演じ、道化フェステを女優が演じたことだろう。男優のヴァイオラは、歌舞伎版の尾上菊之助を除いて私は見たことがないが、女優が演じる場合とは大きく雰囲気を変えることが分かった。女優が男装したヴァイオラならば、最初からトランスジェンダーの”遊び”なので、決して成就しないオリヴィアの恋がコミカルになる。しかし男優ヴァイオラだと、美女オリヴィアの"思い"もそれだけリアルに感じられるのと、ヴァイオラとオーシーノ公爵との間に同性愛的な”生々しさ”が生まれる。普通の公演では、女優のヴァイオラは、ボーイッシュで、可愛いらしくて、無害なのだが、この公演ではそうもいかない。意図しての演出だろうが、面白い試みだ。


音楽も、グランドピアノと各種打楽器を舞台の両側に配置し、いわばその間で役者の演技が行われるのは、この小さな空間の使い方として、とてもうまい。『十二夜』はもともと、道化フェステを中心とする音楽の多い作品だが、その方向に拡大するのは、日本語上演のために原作を”様式化”する有力な方途だろう。劇団クナウカによるギリシア悲劇の大幅アレンジと様式化からも分かるように、シェイクスピアのような古典もまた、原作の科白を日本語に訳してそのまま全部再現するというやり方では、何か”気の抜けた”ものになってしまう。能、狂言、歌舞伎などがもつ様式性に相当する要素が何か必要なのだが、一種の”ミュージカル化”ともいうべき今回の試みは、『十二夜』には適切なものだと思う。


役者はとても上手かった。とりわけ、道化フェステを明るく演じた瀧川真澄がよかった。道化の”男くささ”はないけれど、男優のヴァイオラがやや生々しいので、ちょうどバランスが取れる。執事マルボーリオをいかにも渋く演じた稲葉真、オリヴィアを美しく可愛くしかもコミカルに演じた桜内結う、そして、ちょっと明るすぎるが聡明な感じにあふれる女中マライア(稲葉浩美)など、原作のキャラクターの魅力がよく出ていた。