内田樹・鷲田清一『大人のいない国』

charis2008-11-06

[読書] 内田樹鷲田清一『大人のいない国』(プレジデント社、08年10月刊)

(写真は、韓非子)

なかなか面白い本だ。内田氏と鷲田氏の対談と、それぞれの論考からなる。私には、序論にあたる二氏の対談(第1章)と、ネット言論を「呪いの言葉」という人類学的視点から考察した第4章(内田氏)、『韓非子』の説話「矛盾」をレヴィ=ストロースの父と叔父の二元性から読み解いた第6章(内田氏)などが、とりわけ啓発的だった。


第1章では、「最近は幼稚な政治家、経営者、官僚などが話題になるが、彼らでも政治や経済を担うことができて、それでも社会が成り立っているなら、それは成熟した社会です。・・・致命的な破綻もなく動いている日本社会というのは、きわめて練れたシステムになっている。・・・幼稚な人が幼稚なままでちゃんと生きていける。・・・欧米にもアジアにも、そんな社会ないですよ」(p10)という、現代日本パラドックスが語り出される。つまり、「幼児化というのは成熟の反対というわけではない」(同)のだ。たしかに、まるで子どものような中山国交相や田母神空幕長の失脚を見ていると、こんな幼稚な人物が政府の高官であったことの危険さに驚くと同時に、本書の指摘が刊行と同時に的中したことを感じさせる。


「幼稚な人でもやっていける」社会は問題も多い。例えば、高度な管理・経済的合理性という一元的価値が社会の隅々まで浸透するので、社会や個人の価値観が同質化され、ただ一つの尺度で「格付け」序列化される「息苦しさ」が出現する(p112)。皆が「サービスの受益者」という「消費者マインド」で功利的に発想し、自己表現するようになるため、クレーマーやモンスター・ペアレントも出現する。また、ネット言論の「匿名性」において、攻撃的な「呪いの言葉」が他者を傷つけるようになり、言論の空間自体が変質してしまった(p75)。韓国では女優がネットの中傷で自殺したと伝えられるから、内田氏の危惧はこれまたタイムリーに的中している。そして、「こんな日本に誰がした」と「犯人探し」に明け暮れる右翼的「愛国」言論(p40)なども、とても未熟な精神として批判される。いずれにせよ、我々はこうした「新しい幼稚さ、未成熟」とどう向き合ってゆくのかという、重要な問題が提起されている本だ。


私には第6章の「矛盾」の話が特に面白かったので、紹介してみたい。内田氏は『韓非子』の「矛盾」の話を次のように解釈する。


>『韓非子』に「矛盾」という話がある。楚の男が盾と矛を売っている。その口上に曰く。「吾の盾の堅きこと、やぶるることなし。吾の矛の利なること、物においてやぶらざるなし」。すると客の一人がこう問うた。「その矛でその盾を突いたらどうなる?」。楚人は答えることができなかった。
 中学の国語の教科書に出ているような笑話だが、私はこの話の含意は思いがけず深いと思っている。答えを保留したときに、その楚の男はどんな表情をしていたのかを、想像するのである。子どもの頃、その楚人は顔を赤らめたのではないかと思っていた。でも、今は違う。その男はおそらく「にやり」と笑ったのではないかと思う。そして、彼はこう言うのだ。「どうなると思う?」(p102)

次に内田氏は、レヴィストロースを援用して、この話は神話的な寓話であり、大人が子どもに対してあえて「ダブルバインド的な状況」を作るメッセージを与え、やがて子どもがそれを「メタ・メッセージ」として解読できるように成熟を促しているのだと解釈する。

>この葛藤は大人たちから送信される「矛盾するメッセージ」が実はある一つのメタ・メッセージ(メッセージの解読の仕方を指示するメッセージ)を伝えようとしている点においてはまったく無矛盾であるという解釈に出会うまで解消しない(そして、そのときは「子ども」はもう「子ども」ではなくなっている。) 大人たちが告げるメタ・メッセージとは、次のようなものである。お前がこのメッセージを理解できないのは、メッセージの容量がお前の「理解のシステム」の容量を超えているからである。お前がお前のままではこのメッセージは理解できない。お前は今のお前以上のものにならなければならない。メタ・メッセージは子どもに端的に「成熟せよ」と告げているのである。(p105f)

そして内田氏は、こうも考える。矛と盾を並べて売ることで、「無敵の武器=最終兵器」の出現が回避される。もし矛だけ、あるいは盾だけが売られていれば、それは「無敵の武器=最終兵器」として使用できる。だが両方売られているから、人はだれも最終兵器を使うことはできない。最終兵器は存在してはならないのだ。『ロード・オブ・ザ・リング』や『ネバー・エンディング・ストーリー』などのファンタジーが示す説話原型は、最終兵器の解除は子どもだけができることを示す。無敵の矛だけを振り回す、あるいは無敵の盾だけを持つ子どもは、最終兵器を手にする実に危険な存在である。そのような子どもは「成熟」しなければならない。それが、矛と盾が並べて売られているということなのである、と。(p107)