古市剛史『性の進化、ヒトの進化』(2)

charis2008-12-30

[読書]  古市剛史『性の進化、ヒトの進化』 (朝日選書 1999)


(写真右は、1974年にエチオピアで発見された300〜350万年前の女性の全身の骨。「ルーシー」と呼ばれている。写真下は、1978年にケニアのラエトリで発見された、360万年前のヒトの足跡。腕を組んで歩く男女と、すぐ後ろからついてくる子供であると想定されている。その他、1994年にケニアで発見された400万年前のすねの骨の化石も、二歩足歩行を示している。)

類人猿の進化系統樹からすると、ヒトの分岐にもっとも近いのはチンパンジーボノボの分岐である。この分岐は、アフリカ大陸の地殻変動に起因している。現在、アフリカの赤道付近の東西に伸びる熱帯雨林にはチンパンジーが、赤道直下のコンゴ川南域の熱帯雨林にはボノボが、それぞれ生息している。一方、最古のヒトであるアウストラロピテクスの化石が発見されるのは、南アフリカからヴィクトリア湖の東岸を経て、ケニアからエチオピアまで南北に伸びる地溝帯付近である。地殻が隆起し、この地溝帯に沿って出来た山脈によって、それまでアフリカ大陸の広範に広がっていた熱帯雨林は山脈の西側になり、山脈の東側は乾燥してサバンナになった。類人猿は、山脈の東西に分断されて、ヒトと、チンパンジーボノボとに分岐して進化することになった。


すると問題は、熱帯雨林からサバンナに環境が変化した場合に、生存により適した進化の方向は何かということになる。もともと類人猿は熱帯雨林に適応して進化した動物なので、熱帯雨林に残ったチンパンジーボノボのその後の進化がゆるやかだったのに比べて、環境がサバンナに大きく変わってしまったヒトは、それだけ大きく進化したと考えられる。そのポイントが二本足歩行なのであるが、ではなぜ、それまで移動に4本の手足を使っていたのが、二本足に変わったのだろうか? 走る速度がずっと遅くなるので、猛獣につかまりやすいなどの不利があるにもかかわらず、二本足歩行に変わったとすれば、それはよほど特別な利益をもたらす何かがなければならない。それは、”食べ物を運ぶ”ことができる姿勢であったと考えられる。ヒト以外のすべての動物は口にくわえて食べ物を運ぶ。チンバンジーボノボも、後ろ足で立って手(=前足)で食べ物を抱えることはできるが、短時間しかできない。二本足歩行するヒトの「手」だけができる決定的な利点とは、食べ物を長距離にわたって持ち運ぶことだったのである。ではなぜ、ヒトは、食べ物を長距離にわたって運ばなければならなかったのか? それを解く鍵は、熱帯雨林から乾燥地帯に環境が変わった場合に、メスの子育てがどのような変化を強いられるかにある。


生殖という観点からみると、チンパンジーボノボなどの類人猿は、きわめて少産である。このような少産が可能であったのは、熱帯雨林という特別に有利な環境のおかげである。栄養価の高い木の実や果実が無尽蔵にあり、体型の大きな類人猿は、木登りも巧みなので、天敵にやられる心配も少ない。だから、チンパンジーのように、妊娠から出産、授乳、子供の自立まで約6年もかけて丁寧に育てるという、少子少産型の生殖が可能になったのである。だが、熱帯雨林がなくなりサバンナになると状況は一変する。食べ物も少なく、ライオンなどの猛獣が闊歩するサバンナにおいて、すでに少子少産型になってしまったヒトの祖先たちは、どのようにして生き抜くことができたのだろうか? まず第一に、チンパンジーボノボのように、食物を採集しながら、子育て中のメスを連れて群れ全体で移動することはできなくなった。ずっと広い範囲から食物を探さなければならないので、授乳や子育て中のメスを一定の場所に置いて、半定住の生活をすることになった。オスは遠距離の食物を探し、メスは近距離の食物を探す。オスは食料を遠くから持ち帰る必要が生じ、二本足歩行と手の使用がこれを可能にしたのである。


だが、オスが遠くから食料を持ち帰るといっても、持ち帰ったオスはその食料をどのメスに渡すのだろうか? 自分の気に入りのメスに渡すのだろうか? 発情している(=性交可能な)メスとそうでないメスに、オスは対等に食料を渡すだろうか? 性交可能なメスを優先しないだろうか? ボノボのメスにニセ発情が存在することが、ボノボ社会を何とか「丸いもの」におさめていたことを考えれば、小さな脳しかなく、ろくに言語的コミュニケーションもできないヒトの祖先たちが、オスの持ち帰る食料を合理的に分配できるためには、類人猿とは違ったオス・メス関係が必要なはずである。というのも、チンパンジーにもボノボにも、固定した「夫婦」というものはないからである。チンパンジーボノボも、近親交配を避けるために、若いメスは自分が生まれた集団から外に出て、別の新しい集団に加わるという、父系集団である。しかし交尾したメスが生んだ子を育てるのはメスであり、オスは一切関知しない。つまり、うるわしい「夫婦」というものはないので、群れの中の「乱婚」によって次世代の再生産が行われる。オスは、メスの産んだどの子が自分の子であるかを知らない。だが、ヒトの祖先のオスが食料を遠くから持ち帰り、それをどのメスに渡すかが問題になると、自分の子とそれを育てている母の認知が関心の対象になると想像される。チンパンジーボノボと同様な集団での生活を継承しながら、その集団の中に、「夫婦」というオス・メスの新しい関係が出現してくるのである。


ここで、一つ注意すべきことは、鳥類などは、ペアで子育てする例も多いので、あたかも「夫婦」のように錯覚されるが、ヒトの祖先で発生したと目される「夫婦」とは意味が異なることである。鳥類の子は巣立つと親とは無関係になるので、子は「家族」を形成しない。それに対して、類人猿は、生まれた息子または娘が父や母と同じ集団に残って一緒に生活する。ヒトの祖先の場合は、チンパンジーボノボと同じ父系集団によって息子が残る形態を継承した。そのような父系集団の内部に成立した新しいオスとメスの関係が、一夫一妻制の夫婦なのである。ヒトのその後の展開では、母系集団もたくさんあるが、類人猿から分岐したときは父系集団だったと想定されている。そして、ヒトの女性に発情期がなく、排卵期をオスに知られないようになっているのは、オスが排卵期の発情しているメスに優先的に食料を渡したり、性交を求めて他の発情しているメスに惹かれたりすることがないようにするためである。「夫婦」という男女関係はそこから生まれてきたのである。[続く]