アリストファネス『女の平和』

charis2009-02-20

[演劇] アリストファネス『女の平和』 JAM SESSION公演 下北沢「劇」小劇場


(写真右はポスター、下はアメリカでの舞台と漫画)

アリストファネスの『女の平和』(原題名”Lysistrata”)は、2400年前にアテナイとスパルタが戦争中に、両国の平和を願うアリストファネスによって書かれ、上演された。下ネタ満載の抱腹絶倒喜劇によって、真正面から戦争を批判する反戦劇の白眉である。最近では、アメリカのイラク戦争を批判して世界中で同時上演された。アテナイの美人の人妻リュシストラテは、女友達を集めて、夫とのセックスを拒否するストライキによって、男たちを苦しめ、戦争中止に追い込もうとする。アテナイの女だけがストライキをしたのでは、アテナイの男が弱って戦争に負けてしまうので、セックスストライキはスパルタの妻たちも共同しなければ、両国の和平に繋がらない。うまいことに、リュシストラテの友人のスパルタ美女ラムピトが、スパルタ女性をオルグする役を引き受けてくれる。スパルタ方式で鍛錬された女性はセックスアピールの肉体美も凄いと冷やかすアテナイ女性の嫉妬が面白い。
リュシストラテ「まあ、ラムピトさん、何てあなたは美しくていらっしゃるんでしょうね、大好きな方。健康そのものの美しい肌、身体じゅうの筋肉がぷりぷりしているわ、牝牛だってしめ殺せそうね。」ラムピト「本当にそう、運動して、尻蹴り跳びをやるのよ。」リュ「まあ、みごとなお乳をもっていらっしゃること!」ラ「まるで神様にあげる獣みたいに私を撫でまわすのね。」


しかし、である。夫のセックスを本当に拒否するというのは、妻たちにとっても大変な試練であり、簡単にはいかない。リュシストラテは言う、「お化粧して、アモルゴス製の透きとおる肌着を着て、身体じゅうまる見えで、例のところは毛を抜いて、きれいにして、[夫の]そばを通ってごらんなさい。男たちはいきり立って、からみつきたいと思うでしょう。ところがよ、私たちはそれに応ぜず、知らぬ顔の半兵衛さんを決め込むのよ。」「アモルゴス製」とは、「非常に薄く、透き通っている麻布」だそうだが、まるで現代のセクシー下着のようではないか。だが、そう簡単にうまくいくだろうか? 親友のカロニケは反問する、「だけど、もし私たちをとっつかまえて、寝室にむりやり引っ張り込んだら?」リュ「扉にしがみつくのよ。」カ「ぶったら、どうする?」リュ「仕方がない、しぶしぶ従うのよ。でも、暴力で得たものには楽しみはなし。なあに、すぐやめるわよ。女と協力しなければ、男はけっして愉快になれないんですからね。」


要するにリュシストラテは、「女がマグロになっちゃえば、男には快楽ないよ」と言っているわけだ。そしてストライキは敢行され、戦費をしまってある金庫も占領した彼女たちに、男の役人は、「戦争は男の仕事だ、女は関係ない、口を出すな!」と非難する。それに対してリュシストラテは理路整然と反論する。女は二重の意味で戦争の当事者だ。子供を産み、やがてその子は戦士として戦場に送られ、殺される。もう一つは、未婚の女性は婚期を失うリスクが高い。長い年月を戦争に従事した男性が帰還した場合、かなり高齢でも若い娘と結婚できるが、その間待っていた娘は適齢期を逃してしまう。既婚・未婚を問わず、どうして女性が戦争の当事者でないことがありえようか! 「戦争は女の仕事だ」、と。アリストファネスは、戦争と性の深い関連を捉えているのだ。『女の平和』が2400年の時を越えて、我々の心を打つ理由もそこにあるだろう。セックスストライキは、女にとっても困難な試練であり、多くの女たちが脱落しそうになる。何だかんだ理由をつけて夫のもとに帰りたがる女たちをリュシストラテは必死で説得し、何とか団結を保って、ストライキは成功裏に終わる。勃起したまま戻らないお化けのようなペニスを抱えて、男たちは焦燥し、苦悩し、ついに屈服して、アテナイとスパルタは和睦する。


今回の西沢栄治演出の舞台は、1時間という上演時間に『女の平和』の重要部分をしっかりと組み込み、とても充実感のある優れたものだった。狭い舞台、何もない空間、あるのはテーブル一つ。女性たちは和服姿で奮闘する。セックスを「断つ」ことの苦しみの表現も巧い。祈りも踊りもある。幕開けの軍艦マーチと、終幕に映される世界の戦争の映像。若い兵士や、子供や女性たちの顔写真。アリストファネス『女の平和』は、まぎれもなくここで我々のものになっている。