新国『ヘンリー六世』(三部作)

charis2009-11-14

[演劇] シェイクスピア『ヘンリー六世』(三部作) 新国立劇場中ホール


(写真右は、舞台より、ジャンヌ・ダルク(ソニン)。下は、ヘンリー六世(浦井健治)と王妃マーガレット(中島朋子)、民衆蜂起のジャック・ケイドの乱)

鵜山仁演出によって、シェイクスピア『ヘンリー六世』第一部『百年戦争』、第二部『敗北と混乱』、第三部『薔薇戦争』が通しで上演された。朝11時〜夜10時20分まで、二度の食事休憩を挟んで12時間近い観劇。満席の観客のかなりが、通し観劇だったように思う。疲れも吹っ飛ぶような充実した舞台だった。


『ヘンリー六世』は、シェイクスピアが26〜7歳で書いた処女作にしてデビュー作だが、こんなに面白い劇とは知らなかった。日本では、三部作一挙上演はこれが二回目、28年ぶりだという。日本で言えば、戦国武将たちの天下統一物語によく似ている。ヘンリー五世に指揮されて広大なフランス領土を獲得したイギリス軍は、ジャンヌ・ダルクの登場などによって敗退し、ランカスター家(赤薔薇)とヨーク家(白薔薇)による国内の覇権争いが激化する。ヨーク家の勝利によって長男のエドワード四世が即位し、弟であるリチャードがヘンリー六世を暗殺するまでの物語。登場人物はすべて実在で、話の大筋は史実。


一言でいえば、"血湧き肉踊る大活劇"で、王位をめぐる諸卿たちの大陰謀が渦巻き、チャンバラ合戦が繰り返され、"乙女"ジャンヌ・ダルクや"絶世の美女"王妃マーガレットが自ら軍を率いて闘うなど、"女傑"が刀を手にして走り回る。そして、民衆蜂起のジャック・ケイドの乱や、海賊たちが楽しそうに貴族を惨殺するなど、下層階級のエネルギーも全開だ。要するに、サービス満点のエンターテインメント系活劇なのだが、そこはシェイクスピア。まず、ヘンリー六世の人物造形が素晴らしい。史実もそうだったらしいが、生後九ヶ月で王にされてしまったヘンリー六世は、父と違って柔和で軟弱な人文系ヘタレで、王にはまったく向かない優しい青年、つまり草食系男子なのだ。今回の舞台では、天使のような線の細い美青年になっている。一方、彼を取り囲む諸卿たちは男の匂いをぷんぷんさせた野郎くさい面々ばかりで、ジャンヌ・ダルクや王妃マーガレットなどの女傑も断然肉食系。心優しい一人の草食系男子が、争いや戦いが三度の飯より好きな肉食系男女に取り囲まれて、みじめに潰されてゆくというのが、物語の全体を貫く糸になっている。そして、陰謀と殺戮が血生臭ければ血生臭いほど、そこに人間の無力と空しさを見詰める醒めた諦観のようなものが感じられる。ヘンリー六世という美的形象と権力闘争の空しさという点で、やはりこの作品は安っぽい娯楽劇とは違っている。


特に面白いのは、第一部で、フランス人が徹底的にパロディ化されていることだ。ジャンヌ・ダルクもシャルル皇太子も、その他のフランス人貴族も、とても軽薄で滑稽な人物になっている。ジャンヌはどうしようもないお転婆娘で、戦いに勝つのはつまり悪霊の助力、イギリスの英雄トールボット卿を口汚く罵倒するかと思えば、捕まって火あぶりにされそうになると、"聖処女"のはずが子どもを身篭っていると突然言い出して、延命を嘆願し、しかも相手の男は誰だと問われて答は二転三転する。この第一部は、フランスではどの程度上演されているのだろうか。こんなジャンヌをフランス人が見たら心証を悪くするだろう。以下は、彼女の面白おかしい科白(松岡和子氏の新訳による)。


>[フランス人貴族バーガンディ公爵を口説いてフランス側に寝返らせて] さすがはフランス人! (傍白)くるくる気が変わる。
>[身篭っている子はシャルル皇太子の子かと問われて] 早合点するな、これはシャルルの子ではない、私の愛を楽しんだのはアランソンだ。・・・[アランソンならなおけしからんと一喝されて] ああ、澄まない、いま言ったのは嘘だ、シャルルでもない、私が名前を言った公爵でもない、私をいいようにしたのはレニエだ、ナポリ王だ。


役者は、トールボット卿(木場勝己)が素晴らしく、ウォリック伯(上杉祥三)、マーガレット(中島朋子)、ジャンヌ(ソニン)、ヨーク公(渡辺徹)なども、とてもよかったが、ヘンリー六世(浦井健治)は声がやや小さくて聞き取りにくかった。