新国『ヴォツェック』

charis2009-11-23

[オペラ]  アルバン・ベルクヴォツェック』  新国立劇場・大ホール


(写真右は、マリーと不倫相手の楽隊長、下は舞台全景と、マリーを刺し殺すヴォツェック)


ヴォツェック』の実演を見るのはこれが初めてだが、胸にこたえる圧迫感のある舞台で、アンドレアス・クリーゲンブルグの演出は、上演史に残る優れたものかもしれない。私の持っているDVDは、パトリス・シェロー演出、バレンボイム指揮、ベルリン州立歌劇場公演(1994)で、巨大な積み木の箱がゆっくりと暗い空間を動く前衛的な舞台だったが、今回のクリーゲンブルグ演出もまた強い衝撃性をもっている。暗い舞台のすべてに浅い池のように水が張ってあり、人が歩くたびにピチャピチャと音を立てる。水に立つ黒服の男たちは、餌が撒かれるたびに、魚のように群がって奪い合う(写真上左)。人間世界の貧困と疚しさを象徴しているのだ。そして、水の張った舞台の上方に釣られた大きな箱が、兵士ヴォツェックと内縁の妻マリーの家になっている(写真上右)。この箱が上下に移動するだけでなく、奥から前へせり出してくる動きに凄みがある。シェロー演出の巨大な積み木が左右の水平運動であるのに対して、こちらは観客に向かってくる強い圧迫感がある。色彩が渋く、かつ美しい。


19世紀初頭の作家ゲオルグ・ビュヒナーの戯曲を、アルバン・ベルクが1925年にオペラ化したもの。原作戯曲のシンプルで分りやすい物語に、ベルクが暗く美しい無調音楽を付け、その音楽でもって物語の雰囲気と感情を効果的に表現したところに、この作品の特徴があるのだと思う。貧しい兵士ヴォツェックは、上官の大尉や医者にいじめられ、次第に妄想に囚われて狂ってゆく。妻の不倫に彼の妄想は倍加し、妻を殺し自分も自殺するという、暗いシンプルな物語。しかし、そこにマリーの子供がいて、母にさまざまな抵抗の仕草をするところや、大尉や医者のグロテスクな抑圧者ぶり、そして酒場で踊り狂う兵士や民衆などが、この作品に不条理な深みをかもしだしている。特に、今回のクリーゲンブルグ演出は、子供が終始ヴォツェックにまとわり付くという父子の強い絆を暗示しており、母マリーの絶望感がひとしお強い。


無調の音楽というのは、調性のある旋律のように明確な輪郭をもたないので、ある意味では全体の雰囲気や感情を表現するのに適切なのかもしれない。もともと気分や感情には輪郭がないからである。ベルクの音楽は、無調といっても深い美しさをたたえているので、けっして無機的にはならない。この作品には、ところどころにやや調性的な歌が含まれているそうだが、無調の乾いた音楽によってかもし出される全体の不気味さ・よそよそしさの中に、悲しみ、痛み、喜び、悔いといったさまざまな人間的感情が混じり合い融合するところに、我々は静かな共感を感じる。今回の『ヴォツェック』は、昨年上演されたツィンマーマン『軍人たち』とどこか似た感じがあるが、音楽はベルクの方がずっと分りやすい。