清水真木『これが「教養」だ』

charis2010-04-25

[読書] 清水真木『これが「教養」だ』(新潮新書、’10年4月20日刊)


面白い本だったので寸評。著者は、ニーチェ研究者にしてヨーロッパ精神史に詳しい博識な学者。現代の日本では「教養」が痩せ細り、社会も大学も実用知に傾斜する現状をただ嘆くのではなく、なぜそうなったのか、その理由を求めて大きな歴史的コンテクストの中で解明する。たとえば、紀元前1世紀ごろの古代ローマで、ヘレニズム文化から自由になりたいという欲求が、数世紀も過去のギリシアを規範と仰いだのが「古典」というジャンルの始まりであること(p175)。しかし、「古典」が規範であるのはあくまで文章やレトリックを範とするからであって、「古典」の内容が「人格を陶冶」するのにふさわしいからではなかった(180)。ギリシア人たちがホメロスを重宝したのも、『イリアス』『オデュッセイア』には実用的知識が満載されているからで、芸術の香りに感動したからではない(182)。ところが18〜19世紀には、ヘルダーやフンボルトによって「古典」と「教養」が結び付けられ、「人間性を高め」「人格を陶冶する」ための「形成=教養Bildung」の不可欠の部分として「古典」が位置づけられ、芸術家による「創造=オリジナリティ」信仰も相伴って、「古典」の「正典化」が行われた(185〜197)。そのようなヨーロッパ特有の事情も知らず、明治時代後期の日本人は、ヘルダー・フンボルト的な「教養」を無批判に移入し、「教養」は日本で「輸入の缶詰」のまま一人歩きすることになった。そして、江戸時代から日本人が立ち上げてきた地に着いた概念である「修養」と「教養」が混同され、新渡戸稲造が両者を橋渡した結果、「教養」が「修養」に取って代わって、日本人がありがたがる対象になった(96〜105)。あるいはまた、戦後に日本の大学教育に移入されたアメリカの「リベラルアーツ」は、ヘルダー・フンボルト的「教養」とも微妙に違う(198)、等々。思想史家ならではの、著者の指摘はとても勉強になる。


だが、「教養」が次第に頽落形態に陥ってゆく過程の分析はとても鋭いのに対して、著者自身が「教養」の本来の積極的な形態とみなすものは何なのか、それがやや抽象的で分りにくい。著者はハーバーマスの「公共性の構造転換」を援用し、近代市民社会の人間が、公共圏(=政治)、私有圏(=職場、労働)、親密圏(=家庭)という異なる三つの次元に引き裂かれ、調和的に統合できない苦しさに、「教養」が要請される根拠を求める(41)。「教養」は「公共圏と私生活圏を統合する生活の能力である」(15)と定義される。「教養」は「問題を解決する能力」(50)でもあり、三つの異なる圏域の統合の仕方は、各人ごとに異なるから、この統合の在り方に「自分らしさ」があり、「この自分らしさこそ、本来の意味で教養と呼ぶべきもの」(42)なのだ。著者は、問題を解決する能力としての「自分らしさ」をもっとも重視する。


>[三つの圏域、つまり]職場での役割、家庭での役割、政治の場面での役割の他にもう一つ、家庭内での立場からも独立した、政治的な主張からも独立した、職場での地位からも独立した、つまり、いつ、どこで何をしているときにも変化することのない「自分らしさ」なるものを見つけ出すということであります。そして、18世紀に選び取られましたのが、この「自分らしさ」なるものを見出すという道、ギリシア人とは異なる第二の道だったのであります。「自分らしさ」なるものをあいだに立て、家庭と職場と政治のあいだの折り合いをつける、つまり生活の「交通整理」をすることが期待されたのであります。・・・そして、この新しい「自分らしさ」を見つけ出すプロセスと、このプロセスの結果として見出されるはずの「自分らしさ」こそ、本来の意味で「教養」と呼ぶべきものに他なりません。(42)


著者がこのように重視する「自分らしさ」を、しかしヘルダーやフンボルトは、万人に共通する「人間性」「人間らしさ」にすり替えてしまったと、著者は批判する(49f)。


>ところが、18世紀末以降のヨーロッパ、特にドイツ語圏で教養について語られたことは、これとは正反対のことでした。つまり、万人に共通の「人間性」へ一人ひとりの「自分らしさ」を還元し、「自分らしさ」を「人間らしさ」一般にすり替えてしまう試みでした。・・・教養は、誰にでも当てはまるが、その分内容の乏しいもの、無内容なものになって行くことになったのであります。教養の理解をこのような抽象的な方向へと推し進めた人々、これはたくさんおりますが、ここではヘルダーの名前だけを挙げておきます。・・・ヘルダーは、19世紀のドイツ語圏の教養をめぐる理解の方向に、非常に大きな、しかし基本的にはあまり好ましくない影響を与えました。(51f)


ヘルダーやフンボルトが「教養」概念を空疎化してしまったというのが、本書の基本主張であるが、しかし著者が「教養」の本義として強調する「自分らしさ」は、ヘルダーやフンボルトの思想とそれほど対立するものなのだろうか? 私は、ヘルダーにもフンボルトにも詳しくないので、確固としたことは言えないが、そこには、「自分らしさ」について考えるべき論点が、まだ残されているように感じる。たとえば、ミルの『自由論』は「幸福の要素としての個性」という章があることから分るように、「自分らしさ」の大切さを強調した本であるが、『自由論』の冒頭には、モットーとしてフンボルトの次の言葉が掲げられている。「本書で展開する議論はすべて、重要な基本原理に直接に向けられている。それは、人類が最大限に多様な方向へと発展していくことが、絶対に、決定的に重要だという原理である。」 フンボルトは、人類の「最大限に多様な方向」への発展を最高の価値とみなすのだから、「自分らしさ」を「人間らしさ」一般にすり替えた思想家とは必ずしも言えないのではないか。


あるいはまた、ヘルダーについては、コミュニタリアンであるチャールズ・テイラーの『<ほんもの>という倫理』(2004、産業図書)が参考になる。テイラーもまた、清水氏と同じく、ヘルダーを重視し、かつ慎重に批判的に捉えるのだが、その理由は、ヘルダーが「自分らしさ」を強調し過ぎたこと、「自分らしさ」を美的に捉えたこと、つまり、芸術創造=ポイエーシスを行う主体というモデルによって「個性」を捉えたことに見ている。テイラーは次のように言う。


>ヘルダーは、人間らしいあり方といっても人それぞれ独自のやり方があるという考えを提唱しました。彼には彼自身の、彼女には彼女自身の「ものさし」がある、というのがヘルダーの言い方でした。・・・人間らしくあるにも、この私なりのやり方がある。人様のまねをするのではなく、自分なりのやりかたで自分の人生を送ることが私には求められているのだ、というわけです。(40)

・・さて、以上のことからすぐにも思い当たるのは、自己発見と芸術的創造が実に似通っていて、深く結びついてさえいることです。ヘルダーの登場によって、また人間の生の表現主義的な理解によって、自己発見と芸術創造の関係はとても密接なものになりました。芸術的創造は、それに照らして自己を定義できるようになるお手本、つまり自己定義のための模範的な型になります。(84)


テイラーの問題意識は、デカルト以来の近代的自我が、「自分らしさ」や「個性」のナルシシズムに陥ってゆく過程を批判的にたどることにある。テイラーによれば、自我のナルシシズム化に責任がある思想家として、カント『判断力批判』→ ヘルダー → ニーチェフーコーデリダらのポスト・モダン思想という系列を挙げる。このような見地でヘルダーが批判されるのは、それなりに分るのだが、清水氏は、一方では「自分らしさ」こそ「教養」の本義であるとしながら、ヘルダー・フンボルトの線をきびしく批判している。そこが私にはよく理解できなかった。今後の課題として、清水氏の「自分らしさ」という概念が、もう少し詳しく展開されることを期待したい。