映画『プレシャス』

charis2010-05-02

[映画]  『プレシャス』(109分、ムービックスさいたま)


(写真右は、主人公の少女プレシャス(ガボレイ・シティベ)と彼女に読み書きを教えるレイン先生(ポーラ・パットン)。下は、プレシャスと母親のメアリー(モニーク)。ソーシャル・ワーカー役のマライア・キャリー)

映画館に足を運ぶのは半年ぶりだが、連休なので、比較的近い所にある、さいたま新都心まで出かけた。『プレシャス』は、日本では僅かな映画館しか上映していない地味な作品だが、ずっしりと見応えのある映画だった。これまでにない新しいタイプの映画だと思う。不幸な少女の受難の物語ならば、たとえばカトリックヒューマニズムの立場から作られたロベール・ブレッソンの『少女ムシェット』がある。しかし今回の『プレシャス』は、まず何よりも、黒人の手によって作られた、黒人が主人公の物語であるところに特徴がある。映画の原作は、黒人の女性詩人サファイアの小説『プッシュ』(1996)であり、それを映画化した監督のリー・ダニエルズや、映画の主要な俳優たちは、マライア・キャリーを除いて全員が黒人である。そして、もう一つの特徴は、女性たちが主役で男性がほとんど登場しないこと、レズビアンの女性がとても魅力的に描かれているなど、マイノリティを前景化しながら、貧困、性虐待、暴力、自立といった普遍的なテーマに挑戦している。


黒人、女性、レズビアンといったマイノリティが、表現する側においても、される側においても、もはやかっこ付きではなく、字義通りの主役になっているという意味で、アメリカ文化の成熟を示す記念碑的な作品ではなかろうか。ハーレムの貧困、性虐待、暴力といった目を覆いたくなる悲惨が描かれながらも、そのクールで乾いたドキュメンタリー風の視線が、かえって我々に、希望や救い、自由といったものの価値と存在を教えてくれる。そして、アメリカでもトップクラスの名優が、引き篭もりの虐待母(モニーク)、教師(ポーラ・パットン)、ソーシャルワーカー(マライア・キャリー)、看護士(レニー・クラヴィッツ)といった、とても地味な役を演じて素晴らしい演技を見せている。


ハーレムに住む貧しい16才の黒人少女プレシャスは、父親からレイプされて妊娠・出産し、母親からも虐待され、学校も退学になって、読み書き能力もほとんどないという悲惨な状態にある。だがプレシャスには向上心があり、フリー・スクールで出会った優れた女性教師レインや、看護士、ソーシャルワーカーといった人々の、教育や福祉といった公共の活動を通じた励ましによって、少しずつ立ち直ってゆく。プレシャスはエイズ検査も陽性なのだが、産まれた二人の子どもを育てようと、たくましく現実に立ち向ってゆく。たったこれだけの物語なのだが、辛い現実の中に何ともいえない“解放的な風”のようなものが感じられる。その理由は、プレシャスを支える力が、個人的な美談としてではなく、教育や福祉といった公共的な活動として、そのディテールが描かれている点にあるだろう。たとえば、プレシャスを退学処分にした高校の女性校長は、代替のフリースクールに書類を送り、プレシャスの自宅で面会を断られてインターホンを通じてだが、フリースクールの場所を教える。小さなことだが、これがなければ一切が始まらなかった。フリースクールでまずプレシャスを面接する担当の女性、読み書きと作文を教える教師レイン、生活保護の相談をするソーシャル・ワーカー、産まれた赤ん坊の出産措置をする看護士など、彼らは特に大げさな感情も見せずに、みな自分の仕事を淡々とこなす。公共的で地味な仕事を行う人々の冷静な表情と、システムの中にありながら少しも官僚的にならない人間らしい態度が、この映画の大きな美質だ。


たとえば、フリースクールの教室は、問題を抱えた子ばかり集まっているので、教育を成り立たせること自体が大変なのだが、女性教師レインは、凛として厳しく、弱みを見せずに教室を仕切ってゆく↓。彼女は、子どもたちに問いを投げかけ、作文を書かせ、自分を表現させる中から、人間的な信頼関係を築いてゆく。レインは、私生活の面ではレズビアンであり、家を追い出されたプレシャスを一時家にかくまう↓。公的な面と私的な面での、彼女の比類のない美しさがとても印象的だった。

映画は普通、外的なカメラの視点から物語を作るのだが、この映画では、プレシャスの一人称の視点が、その中にたくみに織り込まれている。空想や回想がフラッシュバックのように映像化されるだけでなく、カメラの視点からナレーターのように一人称の「つぶやき」が漏れることがある。プレシャスは、かなり肥満体質の女の子で、美人ではまったくないし、最初は、どこまでも暗い表情の彼女に共感も感情移入もできにくいヒロインなのだが、事態が進むにつれて、彼女の表情に生き生きとしたニュアンスと喜びの表情が浮かぶようになる。そしていつのまにか、我々は彼女に深く共感している自分に気がつく。この映画のもう一つのポイントは、赤ん坊の誕生だと思う。父親にレイプされて生まれた子という不幸な出産でありながら、プレシャスは自分の子を可愛がり、レイン先生の薦めるように施設に預けるのではなく、自分で育てようとするのだ。赤ん坊の存在が、救いと希望の根源にあるように感じられる。↓

映画の動画Youtube、2分。↓
http://www.youtube.com/watch?v=XLNv2vV6gik
教師レインを演じたポーラ・パットン、原作者サファイア、監督ダニエルズのインタビュー動画。短いが、彼らの意図と熱意がよく分る、2分。↓
http://ch.yahoo.co.jp/phantom/index.php?itemid=194
その他の俳優のインタビュー動画、10分。↓
http://ch.yahoo.co.jp/phantom/index.php?itemid=207