シスタースマイル−ドミニクの歌

charis2010-08-21

[映画] シスタースマイル−ドミニクの歌 (2009年、ベルギー映画 シネスイッチ銀座)

(写真右は、映画のDVD。修道女だったジャニーヌ・デッケルスを演じるのは、ベルギーの女優セシル・ド・フランス。写真下は、実在のジャニーヌ・デッケルス。)

(写真下は、映画より。左端が、ジャニーヌと彼女の生涯の親友でありレズビアンであったアニー・ペシェル。1985年、二人は一緒に睡眠薬自殺した。映画でアニーを演じるのは、ベルギーの女優サンドリーヌ・ブランクだが、自己中で"問題児"のジャニーヌに献身的な友情と愛を捧げるアニーを見事に演じている。彼女の恥じらいに満ちた表情と謙虚な人柄が、この映画を限りなく美しいものにしている。)

私が中学生の頃、日本でも「ドミニクの歌」という明るく美しい歌が流行ったが、その歌を作ったのは、ベルギーのドミニコ会フェシェルモン修道院にいた、若い修道女ジャニーヌ・デッケルスだった。その歌の誕生とその後のジャニーヌを追った映画だが、歌とはまったく違って、美しいけれど、とても悲しい胸の痛む映画だった。


ベルギーのパン屋の娘に生まれたジャニーヌは、保守的で非常に抑圧的な母親に育てられ、美術家になろうという夢もかなわず、母に結婚を押し付けられるのが嫌で、26歳のときに修道院に入る。反抗的な性格でことごとく修道院の秩序とぶつかる”問題児”だったが、もともと音楽が大好きなので、聖ドミニコ(フランス語ではドミニク)を讃えた歌を作ったところ、フィリップス社の目に留まり、世界的に大ヒットする。ただ、本名ではなく「soeur sourire(=sister smile)」という芸名を用い、収益はすべて修道院に寄付する契約を結んでしまったので、300万枚売れたレコードの収益は彼女のものにならなかった。その後、修道院と対立して、コンサート活動するために還俗。だが、ジョン・レノンキリスト教批判に触発されて作った歌「黄金のピルのために神の栄光あれ」が、避妊そのものに反対するカトリック教会の逆鱗に触れて、コンサート活動は惨憺たる結果に終わった(現法王ベネディクト16世はコンドームにすら反対しているのに、半世紀近くも前にピルを讃えるなんて凄い!)。その後、親友のアニー・ペシェルと共同生活し、子供に絵を教えるなどして生計を立てたが、ベルギー政府からレコード収入の追徴課税を受けて払えず、85年に51歳で、アニーとともに睡眠薬自殺。


歌は人を自由にする。修道院の一室で人目を偲んでこっそりプレスリーを歌うジャニーヌと親友の若い修道女クリスティーヌの、何という嬉しそうな顔。修道着姿のままで、自然に体が動いてしまい、モゾモゾともう踊っている。そして、最初はジャニーヌの音楽活動に懐疑的で、冷ややかに見ていた中高年の修道女たちの何人かが、やがて、たまらずに自分も歌に加わってくる。ベルナノス『カルメル会修道女の対話』、あるいは最近読んだ多和田葉子『尼僧とキューピッドの弓』もそうだが、修道院というところは、神に献身するという形式のもとで、実は、人間の生が輝く場所ではないだろうか。下に貼ったYou Tube(1)にある、老修道女たちは何といい顔をしているのだろう。


だが、ジャニーヌ・デッケルスの物語は、とても悲しい。それは、彼女の性格に拠るところが大きい。ひたすら頑固で、人の言うことに耳を貸さず、強調性がまったくない「困ったちゃん」なのだ、彼女は。この映画を、「自由と愛を求める少女が、頑迷固陋なカトリック教会に潰された」という善悪二元論で捉えるとしたら、それは表面的すぎるだろう。ジャニーヌのような人は、どんな職場でもうまくいくはずがない。実家にも帰れず、理解者・支援者も次々に失って、最後はレズビアンの親友と自殺した彼女の人生は、ある意味でこれ以外にはありえなかったのではないか。人は、簡単に性格を変えることなどできない。欠陥のある性格をどこまでも生きて、ジャニーヌは、孤立と苦しみのうちに死んだ。神父から「修道院に入ったのは君の自由意志だったはずだ」と突き放され、「どうして私は誰にも愛されないのだろう」と彼女が泣くシーンは、悲しい。だが、親鸞悪人正機ではないが、彼女の欠陥ある性格もまた神から賜ったものだから、彼女には、この世を無難に生きる人よりも、いっそう大きな神の恩寵があってしかるべきではないのか! この映画は、そういう映画だと思う。


映画館で、デッケルスその人が歌ったCDを買って帰ったが、「ドミニク」はとてもいい歌だ。リフレイン部分の、S’en allait tout simplement と、Routier pauvre et chantantの最後が脚韻を踏んでとても美しい。歌詞は下に貼ったが、「ある日、異端者がイバラの道に誘う、だが聖ドミニクが彼を改宗させた」とか、「ドミニク、我らが父、アルビジョア派と戦う」など、なかなか勇ましい本格的な宗教歌だ。だが、この爽やかで明るいシャンソン風の旋律の美しさは格別ではないだろうか。映画にも出てくるが、ジャニーヌがこの歌を作ったのは、第2バチカン公会議の真っ最中である。カトリック教会もまた、神の退潮著しいこの世の教会であろうと苦闘している。関谷義樹カトリックサレジオ修道会司祭は、聖堂でギター伴奏による聖歌が歌われるようになったのは、ジャニーヌの「ドミニク」がきっかけだと述べている(プログラムノート)。音楽は人を自由にするという彼女の夢は、けっして無駄ではなかった。


You Tubeに、ジャニーヌ・デッケルス自身が歌った「ドミニク」の録音と影像があった。貴重なものなので貼っておきます。

(1) 1963年の最初の録音。繰り返しの部分を3人の修道女が、主要歌詞をジャニーヌが歌う(歌い始めの最初の黒白写真でギターを抱えているのが彼女)。付けられた写真は、実在の修道女と映画が混在している。インドやアフリカのドミニコ会修道女と思われる写真や、修道着姿で海水浴する姿など、興味深い。↓
http://divxklip.org/video/UHhyyRByuJ0/izle.html

(2) ジャニーヌが1982年にディスコ版のために撮った影像。経済的に困窮していた頃で、自殺する三年前。彼女の表情には"怒り"のようなものを感じる。↓
http://divxklip.org/video/9uJLAhZU95E/soeur-sourire-the-singing-nun-dominique-disco-version-1982.html


歌詞 (最初の6節は繰り返し)

Dominique, Nique, Nique / S’en allait tout simplement / Routier pauvre et chantant /
En tous chemins, en tous lieux / Il ne parle que du bon Dieu /Il ne parle que du bon Dieu /
A l’epoque ou Jean Sans Terre /D’Angleterre etait roi, /
Dominique, notre Pere, / Combattit les Albigeois/
(Refrain)
Certain jour un heretique/ Par des ronces le conduit/
Mais notre Pere Dominique/ Par sa joie le convertit/
(Refrain)
Ni chameau, ni diligence/ Il parcourt L’Europe a pied/
Scandinavie ou Provence/ Dans la sainte pauvrete/
(Refrain)
Enflamma de toute ecoles/ Filles et garcons pleins d’ardeur/
Et pour semer la Parole/ Inventa les Freres Precheurs/
(Refrain)
Chez Dominique et ses Freres/ Le pain s’en vint a manquer/
Et deux anges se presenterent/ Portant deux grands pains dores/
(Refrain)
Dominique vit en reve/ Les precheurs du monde entier /
Sous le manteau de la Vierge/ En grand nombre rassembles/
(Refrain)
Dominique, mon bon Pere, / Garde-nous simples et gais/
Pour annoncer a nos freres/ La Vie et la Verite/
(Refrain)

これは、最初に出たシングル版のジャケット。ジャニーヌ自らが描いた絵。