杉浦由美子『バブル女は「死ねばいい」』

charis2010-09-06

[読書] 杉浦由美子『バブル女は「死ねばいい」――婚活、アラフォー(笑)』(光文社新書、’10年8月20日刊)


ミーハーな本だけれど、私の知らないことも多かったので、コメントしてみたい。著者によれば「ミーハー」はすでに死語に近く、現在では「スイーツ(笑)」という語が、メディアや流行に踊らされる若い女性を揶揄する新語であるという(p36f. いや、まったく知らなかったな )。本書は、取材に基づいた個々の指摘はなかなか鋭いが、全体としては、混乱した奇妙な主張になっている。おかしなタイトルにもそれが見て取れるが、本質的な問題は、この種の「世代論」にありがちな、イメージだけで物語を作り上げる手法にあるだろう。統計的なデータがないので、一部に当てはまる現象を、あたかも全体であるかのように錯覚させることにもなる。そういう意味では問題の多い本なのだが、メディアが作り出すキャッチコピーの影響力など、重要な論点も含んでおり、考えさせるところもある本だ。


著者は、バブル期に青春を過ごした1960年代後半生まれの女性たちを「バブル女」と名付け、1971〜4年生まれの「団塊ジュニア」世代と対比する。「バブル女」という言葉には、好景気時代の消費の快楽が体に染み付いているという意味が込められている。そして、バブル世代の女性たちが40歳前後になった08年には、TVドラマ『Around40』が放映され、天海祐希が39歳の女医を颯爽と演じて話題になった。それも、「びっくりすることに、このドラマは、地方に住む世帯収入300万円未満の40代女性にも支持された」(p34)。同時に、「アラフォー」という華やかな響きのある単語が生まれ、同年の流行語大賞に輝いた。以前ならば女性の40歳は「中年」であったが、「アラフォー」という語には、「40歳になっても女子として現役」というメッセージ性があり、これが大いに女性を励ますので、皆が使うようになったのだ。


だが著者は、「アラフォー」はメディアが作り上げた空虚なキャッチコピーであり、「切ない現実を隠蔽するための甘い言葉、つまり「スイーツ(笑)」である」とも言う(p40)。そして、40代前半の女性の「婚活」が揶揄的に描かれる。ところで、「スイーツ(笑)」という語は、Wikipediaによれば、若い女性がデザートを少しおしゃれに「スイーツ」と呼ぶことから始まり、「(笑)」を付け足すことによって、雑誌のキャッチ・コピーを鵜呑みにし、メディアに踊らされる若い女性たちを揶揄する言葉になったという。そして、「スイーツ(笑)」は、「ネット流行語大賞2007」において銀賞に選ばれ、認知度の高い語でもあるという。著者によれば、「アラフォー」という語が、まさにそうした「スイーツ(笑)」なのだ。


ところで、「バブル女」という語には、また違った側面もある。それは、好景気の時期に大学を卒業したので、就職がとても楽だった世代という意味である。すぐ後の「団塊ジュニア」以降の世代が、不況期のために就職できず、ワーキングプアにもなって苦労しているのに・・・、というニュアンスがこの言葉に込められている。そして、「バブル女」世代の女性の多くは一般職で就職した。まだ総合職で就職する女性は少なかったからである。だが、彼女たちより後の世代では、補助的事務の仕事は次第に派遣社員などの非正規職に取って代られ、一般職のポストそのものが減少した。結果として、二十年後の今日、バブル期の女性だけが一般職の正社員として職場に残っている。彼らは恵まれ過ぎているのではないかと、著者は言いたいのだ。これが、本書の帯にある「手放さない既得権」という言葉の意味である。


著者によれば、総合職に就職して男子と対等に働くことを求められる女性は、出産・育児を仕事と両立させることは実質的には困難である。独身でいるか、あるいは仕事をやめるか、実際には、8割方の総合職女性が、出産・育児のために会社を辞めるという。むしろ一般職女性の方が、仕事と出産・育児を両立させやすい。「ワーク・ライフ・バランス」を実現させて、出産を増やし、少子化の時代を救うことができるのは、一般職の女性なのだ。


以上のような著者の事実認識をふまえるならば、著者は一方で、子供を産み育てる母性こそ、女性に生きる意味を与える唯一・最高の価値と考えるのだから(p200)、一般職にある「バブル女性」を悪く言う理由はまったくない。むしろ彼女たちを応援すべき立場のはずだ。なのにタイトルは、『バブル女は「死ねばいい」』というバッシングになっている。つまり、「団塊ジュニア」と先行世代を感情的に対立させるだけの、不毛な世代論で話が終わっているのだ。こうなった理由の一つは、「バブル女」というイメージ豊かな一語ですべてを一刀両断にしたために、問題が幾つもの異なるレベルにあることを見えなくしてしまったからだ。ずっと以前に、『父性の復権』を書いた林道義氏の「父性」という概念にも同じ危惧を感じたことがあるが、「バブル女」とか「父性」などの、一種の「イメージ語」には注意しなければならない。著者は「アラフォー」という語を「スイーツ(笑)」として批判的に捉えているのに、自ら使った「バブル女」というイメージ語に足をすくわれてしまったと言えるだろう。