旧約聖書『レビ記』

charis2010-12-31

[読書] 旧約聖書レビ記』(岩波版、旧約聖書第2巻)

(写真は、パピルスに記されたギリシア語『レビ記』)


院生たちと、旧約聖書勉強会を再開。モーセ五書の第三書『レビ記』。ほぼ全篇が文化人類学的テクスト。人間の「再生産」は、まずは食と生殖に関るから、それが原始共同体の規範である「律法」の内実になっていることがよく分る。


主題になっているのは、さまざまな供儀(くぎ)、穢れと浄め、食物の規定、肉と血、男女の性と出産、皮膚病、婚姻のルール、応報刑の規定、弱者救済と相互扶助、土地や商取引のルール、安息日など多岐にわたる。すべての出来事の原因は創造神ヤハウェであり、すべての事物の所有者もヤハウェという視点が貫かれている。供儀の分類が面白い。「全焼の供儀」、「和解の供儀」、「浄罪の供儀」など、目的別に異なったさまざまな供儀があるのだが、最重要の「全焼の供儀」とは、ヤハウェに捧げる牛や羊などを、すべて焼いて煙にしてしまう。だから「全焼」なのだ。ホメロスイリアス』では、供儀は同時に宴会であり、捧げ物を焼いて皆で食べながら酒盛りをするのだが、へぇ、こちらは全部焼いて灰にしてしまうのか、ユダヤ教は厳しいなぁ、などと思いつつ読んでいくと、「全焼の供儀」以外では、焼いた肉を食べてもよいと書いてある。なるほど、そうなのか。ただし、祭司のみが食べてよい場合とか、一般参賀者も食べてよい場合とか、詳細に規定される。


食べてよい食物といけない食物の規定も、実に細かい。栄養学的観点ではなく、「穢れ」という観点から、食物を食用可と不可に二分している。動物は、蹄が割れているか、割れ目が完全か、反芻胃をもっているかが基準になる。それに照らして、豚はダメと明記されている。ただ「ダメ」と言うのではなく、そう判断する基準を示しているのが、さすがだと思う。水産物ヒレと鱗があるものだけ食用可。したがって、イルカ、クジラ、海老、タコ、イカはダメ。鳥については、「忌まわしい鳥はダメ」と最初から書かれているのが、可笑しい。鷲、禿鷲、黒禿鷲、鳶、隼のたぐい、烏、ふくろう、みみずくはダメ。なるほどこれらが「忌まわしい鳥」なのかと思うが、「忌まわしい」の基準が何なのかは書かれていない。トートロジーではないのか? そして、鳩や山鳩は可。供儀にも使われる。また、昆虫は概してダメと言われているが、バッタ、イナゴは可とされている。全体として、分類が恣意的な印象を受ける。


出産や性に伴う穢れについての記述も、非常に細かい。穢れにもさまざまな程度があるのだ。男児出産は7日間、女児出産は14日間、穢れる。男児は8日目に割礼(7日間の穢と関係か)と決まっている。「夕方まで穢れる」という記述も多く、これは軽い穢れだ。女性の生理も、男性の射精も、穢れなのだ。全体として感じるのは、砂漠に近い厳しい環境の中では、生殖は共同体の存続に不可欠な至上命題であるということだ(「産めよ、増えよ、地に満てよ!」)。膣外射精をしたオナンがただちにヤハウェに殺されたのも、男性の精子はそれだけ貴重なものだったからだろう(『創世記』)。オナンはレヴィラート婚(=兄が子なしに死んだ場合、独身の弟はただちに兄嫁と結婚し、子を作らねばならない)がいやで膣外射精したのに、「オナニズム」の「語源」にされたのは不本意だろうに。


皮膚病「ツァーラアト」を「穢れ」とする記述も、現代の「病気」概念とは異なっている点が興味深い。皮製品や衣服や家屋にも同様に生じて、「穢れる」とみなされているが、要するにこれはカビのことだ。人と「もの」を区別せず、カビや細菌という原因概念が欠如しているから、みな「穢れ」かそうでないかという基準で分類される。興味深いことに、ヤハウェみずから「私がツァーラアトの病を引き起こした」と語る記述がある(14:34)。一切の自然現象はヤハウェが引き起こしたものだから、「穢れ」はヤハウェの怒りが現われたもの。だから供儀によってヤハウェの怒りを解き、「浄め」なければならない。一種のマッチポンプのようなものだ。「病気」という「自然」概念はなく、一切はヤハウェの意思によって引き起こされるのだ。


婚姻のルールも詳細に規定されている。具体的に婚姻禁止の近親者を列挙しているが、レヴィラート婚と矛盾する規定も含まれている。エジプトを名指し批判しているのは、エジプトでは王家の血を純粋に保つために近親結婚があったからか。父親と娘との性関係は、旧約のどこにも禁止が書かれていないのが不思議。同性愛(男子のみ)や獣姦の禁止は書かれている。獣姦は女性にも禁じている、「女も、けっして動物の前に立って、それとつがってはならない」(18:23)。「前に立って」とは、きわどい記述だ。


死体への禁忌が強い。祭司でさえも、死体に近寄れないとされている。「穢れる」からだ。だが、祭司でさえも近寄れないのだとすれば、葬儀はどうしたのだろうか?