藻谷浩介『デフレの正体』

charis2011-01-04

[読書] 藻谷浩介『デフレの正体――経済は「人口の波」で動く』(角川新書、2010年6月刊)


衝撃的な本だった。著者は日本政策投資銀行(旧日本開発銀行)に所属するエコノミスト。理論派ではなく現場に詳しい人で、地域経済分析の専門家。本書はほぼすべてが、実証データとしての数値の提示だが、そのポイントは、以下のようにまとめられる。

(1) 日本は世界に先駆けて高齢化しており、生産年齢人口(15〜64歳)が1996年から減少し、現役世代よりもはるかに消費の少ない高齢者が大幅に増加している。そのために大規模な「内需の縮小」が起きており、これが経済低迷の原因である。生産年齢人口は、ピークだった1995年の8716万人から、2015年には7681万人と、20年間に1035万人も減り、さらに2025年には7096万人に縮小する。そして、2050年には、4930万人と予測されるから、この55年間に、全体として生産年齢人口3786万人が消滅する。つまり、新たに15歳になる若者数を相殺して、55年間休むことなく毎年平均70万人弱が生産年齢人口から消えてゆく。


この予測は、出産可能な女性の絶対数の減少と、(出生率をそれなり楽観視する)中位推計に基づいているから、幸いにしてそこから出生率がさらに上向いたとしても、結果はそう違わない。「甘い」と批判されてきた国立社人研による出生予測に基づいているから、さらに事態が悪化することもありうる。上図を見ても、1950年と2050年の人口構成の違いは、日本社会の課題の差異を表している。毎年70万人もの外国人労働者を新たに呼び、減少する生産年齢人口3786万人を外国人で置き換えるということも、現実には難しいだろう。国民の4割が外国人になる勘定だから。


2005年には、生産年齢人口8442万人が、75歳以上の高齢者1164万人を支えていたのに対して、2050年には、生産年齢人口4930万人が、高齢者2373万人を支える。現役7.3人が1人の高齢者を支えていたのが、2.1人で1人を支えるわけだ。このような対比は、年金や医療介護といった観点から見ても深刻だが、経済の観点からすれば、消費の活発な生産年齢人口の絶対的縮小と、消費の不活発な高齢者の激増とが「内需の絶対的縮小」をもたらす。需要が縮小すれば供給=生産も縮小し、経済全体がスパイラル的に縮んでゆく。これは、マクロ経済学で言われる「景気の波」などで乗り切れるものではない。現在の日本人の多くは、「今はたまたま不況だからまずいが、景気が回復しさえすれば、すべてはよくなる」と考えている。あるいは、労働生産性を向上させれば、労働人口の減少を相殺して経済規模の縮小は避けられると考えている。だが、事態はそうなっていない。


(2) 「労働生産性」という概念をより正確に定義すれば、それは「付加価値生産性」である。それは、企業の利益に、その企業が事業で使ったコストの一部(つまり、人件費や賃貸料のように、企業が従業員や地元に支払った金額)を足したものを、従業員の労働量(従業員数×労働時間)で割った数値である(p144)。ここで注意すべきことは、企業が従業員に支払った賃金や、地元に支払った地代などが(分数の)分子になっていることである。だから、正社員を派遣社員に切り替えて、労働者の総賃金を引き下げれば、それだけ生産性は低下する。労働者の首を切って純減にすれば、たしかに分母も減るが、分子の賃金も減る。だから、このやり方で生産性を上げることには限界がある。


(3) 売上げ高に対する付加価値額の割合の高い産業、つまり付加価値率の高い産業というと、多くの人は自動車やエレクトロニクスなどのハイテク産業を思い浮かべるが、それは違う。飲食業や宿泊業、観光業などのサービス業の方が、付加価値率はずっと高い。「人間をたくさん雇って効率化の難しいサービスを提供しているサービス業が、売り上げの割には一番人件費がかかるので付加価値率が高い。」(146) このことを「非効率」と考える人がいるが、マクロ経済的にはまったくそうではない。人件費をたくさん支払うということは、それが消費に回るわけだから、経済を活性化させるという意味では、サービス業はきわめて望ましい産業なのである。


たとえば、国際競争力のあるハイテク製品を作れる輸出企業が好調で、たくさんの儲けを出しているが、これと国内サービス業とを比較してみよう。外国からたくさん稼いだハイテク企業が、その儲けを従業員への賃上げという形で還元すれば、それは新たな消費と需要を生み出すから、日本経済の活性化に寄与する。しかし、その儲けを企業が海外に再投資したのでは、日本経済の活性化にはまったく寄与しない。2003〜6年の「好景気」の時期に起こったことはまさにこれである。もし国内にその儲けを再投資すれば、それは日本経済の活性化に寄与するはずだが、国内は人件費が高いので製造業の再投資は行われない。そして、上記で見たように、国内では大規模な「内需の縮小」が数十年にわたって進行中であるから、企業には金が余っても、それが国内で消費に回る回路がない。ゼロ金利になっても、需要が無いから、供給や生産のための投資は増えないのである。


(4) 本書の前半は、日本経済の、地方と大都市圏との景気の対比である。「東京が一人勝ちで、地方は疲弊している」という通念がまったく誤りであり、東京も地方に劣らず、あるいはそれ以上に疲弊していることが、実証データとともに示される。通常の経済分析は、失業率や有効求人倍率などで「景気」を判断するが、著者は、業者が税務署に届ける小売販売額や、雇用者数の実数値にもとづいて、経済の「実体」を分析する。これらはサンプル抽出ではなく全体の実数値であり、経済の全体像を間違いなく表している。「小売販売」総額がなぜ重要かといえば、これこそが国民の消費を実体的に表現するものであり、日本国民の生活の総体という意味での経済実体を表しているからである。雑誌書籍販売部数、新車販売台数、貨物総輸送量、自家用車旅客輸送量、酒類販売額など、消費実体をあらわす小売販売額を見ると、生産年齢人口が減少に転じた1996年とほぼ同時にすべてが減少を続けている。東京の都心でも消費が減退していることは、伊勢丹三越の合併、西武有楽町店の閉店などからも明らかであり、「若者の嗜好の変化」や「不景気」のせいなどではないのだ。


(5) 働く女性の方が専業主婦より出生率が高いというデータも貴重だ。東京はバリバリのキャリアウーマンのせいで、出生率が低いのかと思っていたが、これは私の偏見だった。東京は通勤距離の長さと金持ちが多いので、全国でも特に専業主婦の率が高い地域なのだ(229)。


(6) 下記のグラフからも分るように、他国と比べた日本の生産年齢人口比率は、1960年〜1995年頃は非常に高いが、以後、急降下している。