[映画] 宮崎駿/吾郎「コクリコ坂から」 長野グランドシネマズ
(写真右は、高校の部活の建物「カルチェラタン」、学生運動を示唆する名前になっている。下は、コクリコ坂を降りるヒロイン「海」。1963年の横浜にはこういう住宅地があったのだろう。)
山篭り中に街に下りた際、長野市内の映画館で見てきた。宮崎駿(今回は脚本)を見るのは『崖の上のポニョ』以来3年ぶりだが、なかなか良かった。ジブリのこれまでの作品を一歩踏み出す、新しい試みだと思う。『ナウシカ』から『ポニョ』まで、ジブリの主要作品は基本的にはファンタジーで、実在の時代と場所を特定できない物語だ。どれにも非実在的な要素が介在して、そのシュールな感じがとてもよかった。しかし『コクリコ坂』は1963年の横浜の高校の学園物語で、シュールな要素はほとんどない。にもかかわらず、とても懐かしい、小津安二郎の映画を見るような趣があった。
宮崎駿のプログラムノートによれば、原作は、1980年頃に『なかよし』に連載され、不評に終わった少女マンガだという。宮崎は、原作が失敗した理由を、少女マンガの定石に従って「構造的に社会や風景、時間と空間を築かずに、心象風景の描写に終始」したからだと述べている。逆に言えば、映画『コクリコ坂』は、原作を改作し、「構造的に社会や風景、時間と空間を築く」ところにその特徴がある。考えてみれば、『ナウシカ』はファンタジーではあっても、そこには文明批判という強い思想性があった。映画『コクリコ坂』は、高校生の男女の淡い恋という少女マンガを換骨奪胎し、ある種の強い歴史性を与えたところに、その魅力があるように思う。
ヒロインの「海」は、高校二年生の少女で、船員だった父を海で失い、大学教授の母に育てられ、横浜の丘の上の祖父の洋館に住んでいるが、その家は、女性だけの下宿人を住まわせて家計の足しにしている。彼女の通う高校は、私立のエリート高校で、哲学部、数学部、文芸部などの部活が盛んで、「カルチェラタン」という名の部活用の立派な洋館を学内に抱えている。その「カルチェラタン」の取壊しを計画する学校側と生徒たちが戦い、それが一種の学生紛争のミニチュア版になっている。その部活を通して「海」が知り合うのが、「俊」という高校三年生の少年だが、実は、「海」も「俊」も出生の秘密があった。二人のそれぞれの父は、海軍兵学校?か何かの同期の親友なのだが、「海」の父は朝鮮戦争で、「俊」の父もどこかの海で、「海」や「俊」の誕生直後に死んでいる。それを知らなかった二人が、偶然それを知り、新しい恋の予感とともに終幕。
この映画の重要な要素は、「海」や「俊」の父たちである海の男たちの実にゴツイ男っぽさである。「俊」を引き取った育ての父は「俊」の父の親友であり、また、「海」と「俊」の父の親友だった第三の友人は存命で、現役の船長をしている。この二人のオヤジのゴツイ男っぽさ。「海」と「俊」の父も、もし生きていたら、同様のゴツイが魅力的な父親になっていただろう。だが、写真に残るのは20代初めの、若々しいハンサムな顔。特攻隊で散った若者の写真を髣髴とさせる。「俊」はそのような若く美しい父たちの面影を残す少年であり、そのオーバーラップが我々の胸を打つ。要するに、「俊」も「海」も戦争の深い傷を生きる新世代の若者なのだ。ここに映画『コクリコ坂』が描き出す歴史性の深みがある。ファンタジーとは一味違う、ジブリの新しい試みと言えるだろう。
以下のYou Tubeで予告編が見られる。
http://www.youtube.com/watch?v=9a0oItxtSkE&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=hYvHyNjGM7o&NR=1